日本橋の裏通りを歩いていると、瓦屋根が少し垂れた古い家並みに目が止まる。赤茶のレンガ、木の扉、そして小さく掲げられた緑の看板。
「喫茶 アドリア」。
創業は昭和53年(1978)。店名は、イタリアのアドリア海に由来するという。名付けたのはご主人のおばあ様。なぜその名にしたのか、理由はもう誰にもわからない。「知らんけど」と笑う街、大阪らしい由来だ。
外の光を背に扉を押すと、茶色い壁と、低く落ち着いた照明が、すぐに現実の輪郭をやわらげる。奥行きのある空間ではない。それでも、そこに漂う空気には、時間がゆっくりと積もっている。
壁一面の木目が静かに光を返し、天井にはシャンデリア。ミナミの街角に咲いた一輪の貴族のようだ。広いホールではなく、狭い空間に豪奢な照明を吊るす。その“光の濃縮”が、この店の美学である。
ランプのひとつひとつが琥珀色のガラスをまとい、壁にやわらかな影を落とす。その光は決してまぶしくなく、煙草の煙や、カウンターにこぼれる笑い声と同じ速度で揺れている。
モーニングは400円。トーストとゆで卵、そして珈琲。皿もカップも、どこか時代を止めたような白。トーストの表面は軽くシャクシャクと音を立て、酸味の効いた珈琲が、舌の奥で目を覚まさせる。朝は、これくらいでいい。これくらいが、いい。
まだら模様のテーブルには、何十年分もの手の跡が沈み込んでいる。その上をシャンデリアの淡い光が撫でる。新聞をめくる音、有線のクラシック。モーツァルトか、シューマンか。光までもが音楽に見えてくる。
常連たちは、静かに時間を吸うように珈琲を飲んでいる。それぞれの席に、それぞれの物語があるのだろう。店の奥では、夫婦らしき二人が控えめに言葉を交わしていた。この街の人々にとって、アドリアは“自分の時間を取り戻す場所”なのかもしれない。
珈琲とトースト、そしてゆで卵の三点。450円。それは、昭和のまま時が止まった“朝の定義”のような一皿だ。焼きたてのトーストは、外は軽くザクッと、内はふんわり。口に入れると、わずかに残る塩気とバターの香りが広がり、それを追うように、酸味の立った珈琲が舌を洗い流していく。
ゆで卵は、白くて静かだ。何も語らないが、確かな温度を持っている。ナイフもフォークもいらない、ただ、朝をまっすぐに迎えるための儀式のようなもの。
窓の外では、通勤の人々が足早に過ぎていく。だが、ここでは時間が少しだけ遅い。シャンデリアの灯りの下、その小さな朝食は、一日の「助走」のように心を静かに整えてくれる。扉を開けて外に出ると、通りの喧騒がふたたび押し寄せてくる。だが、背中に残るのは、琥珀色の灯りと、まだら模様のテーブルの手触り。
喫茶アドリア。それは、光と記憶が静かに溶け合う、ミナミの小さなオアシスだ。
喫茶アドリアの基本情報
- 店名:喫茶 アドリア(Adria)
- 創業年:1978年創業
- 住所:大阪市中央区日本橋2-6-19
- 最寄駅:近鉄日本橋駅・大阪メトロ日本橋駅から徒歩3〜5分
- 電話番号:06-6644-4060
- 営業時間:月〜土 07:00〜16:00
- 定休日:日曜・祝日
- 席数・構成:全33席(カウンター5席/テーブル28席)
- 支払い:現金のみ(カード不可)
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