
通天閣のアーチをくぐると、古びたアスファルトの上に「喫茶ブラザー」の文字が見えてくる。

ガラス越しに並ぶ食品サンプルは、どれも少し色褪せているのに、妙に食欲をそそる。
ショーケースの横には季節の花が咲き、入口のマットには“Welcome”の文字。
この街の喧騒の中で、静かに息づく一軒の純喫茶だ。
9時、シャッターが上がる。
ホテルの向かい、通天閣の足元にあるその店は、“朝”という時間を抱きしめているようだった。
「ブラザー」
兄弟のように、寄り添うような響きの店名。双子の弟を持つ自分には、縁を感じる名だ。

店に入ると、低く流れるメロディが耳に届く。
『ウエストサイド物語』の〈Tonight〉、そして『風と共に去りぬ』の〈タラのテーマ〉。シックな照明が壁の鏡に反射し、浮世絵の額縁を淡く照らしていた。
静けさの中に、時がゆっくりと溶けていく。カウンターの中では、大学生くらいの若い女の子が動いている。その仕草には、少し不慣れな緊張と、朝の透明な光があった。

レモンスカッシュを頼む。この街ではそれを「レスカ」と呼ぶ。グラスの縁に、輪切りのレモンが幾重にも重なり、夏の太陽を閉じ込めたようだ。店員さんが「レスカひとつ」と声を上げると、店内の時間が少しだけ軽くなる。
自分でシロップを加えながら、酸味と甘みのバランスを探る。外はまだ人影もまばらで、風がシャッターの隙間をくぐり抜けていく。
しばらくすると、マスターが顔を出し、「ゆっくりしていってな」と言う。短い言葉の奥に、喫茶という文化が育んできた“優しさ”があった。飲み終えて席を立つと、女の子が店の外まで出てきて「またお越しください」と頭を下げる。その一言が、妙に心に残った。

数ヶ月後、再びこの店を訪れた。深夜バスで難波に着き、朝ラーメンを食べ、通天閣を仰ぎ見ながら新世界を歩く。その足が自然とブラザーの前で止まった。

今度はモーニング。トーストとゆで卵、そして香り高い珈琲。皿の上には、東京では味わえない、ゆるやかな時間が盛られていた。
店内では修学旅行の生徒と地元の人が談笑している。テレビの話題や阪神の優勝パレード。どこにでもある朝の風景なのに、この店ではなぜか胸に沁みる。
マスターは「コロナで店が減ったけど、万博までは頑張るわ」と笑った。その笑顔が、何よりのモーニングサービスだった。
壁の鏡に、通天閣の光が揺れている。外ではもう昼の喧騒が始まりつつある。だが「喫茶ブラザー」の中だけは、まだ朝が続いていた。コーヒーの香りが、今日という一日をやさしく包み込んでいる。この街に、兄弟のように寄り添う時間がある。
その名は、喫茶ブラザー。
喫茶ブラザーの営業時間・定休日・予算・席数など
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営業時間: 7:00〜19:00(または 7:00〜17:00)
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モーニングサービスは開店〜11:00まで
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定休日:火曜日
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席数:24席
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『月とクレープ。』に寄せられたコメント
美味しいご飯を食べるとお腹だけではなく心も満たされる。幸せな気持ちで心をいっぱいにしてくれる、そんな作品。
過去を振り返って嬉しかったとき、辛かったときを思い出すと、そこには一生忘れられない「食」の思い出があることがある。著者にとってのそんな瞬間を切り取った本作は、自分の中に眠っていた「食」の記憶も思い出させてくれる。