コロナ禍を経て、飲食業界は大きく変わった。それまでは名声や立地の良さに頼り、味やサービスが劣っていても人が集まる店が多かった。しかし、コロナというリトマス試験紙が、本物とそうでないものを明確に分けた。左うちわの店は次々と姿を消し、本物だけが残るようになった。コロナとは間違い探しであり、答え合わせの時間。
そんな激動の中で、驚異的な進化を遂げた一軒の店がある。東京・恵比寿にあるネパール料理店 『ソルティーモード』。提供されるダルバートが、かつてとは別次元の料理へと生まれ変わっていた。
これが2019年11月23日に行ったときのダルバート。ネパールの国民食であり、日本で言えば味噌汁のような存在。「ひきわり豆のスープとカレー」を意味し、クセのあるソウルフード。
この店のオーナーシェフ、マダンさんはイギリス生まれのネパール人。ダルバートは故郷の味であり、おふくろの味。しかし、厨房を一人で切り盛りしているため、料理が出てくるまでに時間がかかる。味も「家庭の味」の枠を出ていなかった。「もう来ることはない」─そう思いながら店を後にした。それから5年。2023年に『ソルティーモード』は「食べログ100名店」に選ばれていた。
あの店が?
そんな疑問に突き動かされ、久しぶりに足を運んだ。そして、再びダルバートを注文し、一口食べた瞬間、驚愕した。
……これは、もう別物だ。
2019年のダルバートとは、まるで次元が違う。


料理を囲んだ全員が感動し、誰もが自然とおかわりを求める。ダルバートの本質を残しながら、まったく新しい味へと昇華されていた。
「これはもう、ネパール料理の枠を超えている」
本場のネパール人たちでさえ、この味を知れば 「レシピを教えてくれ」と言うだろう。
骨がなく食べやすく、それでいて奥深い旨味が広がる。スパイスの調和が完璧で、一気に口へ運びたくなる衝動に駆られる。
クセの強さが魅力でもあるダルバート。それを「食べやすくする」ことは、マイナスにもなりかねない。しかし、『ソルティーモード』のダルバートは、ただ単にクセを削ぎ落としたのではない。むしろ「浄化」を超えた「昇華」 と言うべき味わいになっていた。問答無用の美味しさ。これが、ダルバートの「究極系」かもしれない。
白ワインとも合う。ぜひ進化系ダルバートを堪能してほしい。1500円。損はさせない。
さらに、ダルバートと合わせて楽しんでほしいのが 「フライドモモ」。ネパールの揚げ餃子で、外はカリッと、中はジューシー。スパイスが効いた肉の旨味が、絶妙なアクセントとなる。
5年前、「もう来ない」と思った店。だが、コロナという試練を乗り越え、これほどの進化を遂げたのならば、また訪れたくなる。そして次に来るといったら、もう5年後なんて待つ必要はない。すぐにでも足を運びたくなる。
令和7年ランチ
2025年2月27日、木曜日の午前11時45分。「ソルティーモード」の扉が開くのを待っていた。何度か来ているのに、地図アプリを見ても迷う。普通のマンションの中にあるので通り過ぎてしまう。街を流れる平日の静かな時間が、これから始まる食事を前に、ゆっくりとした鼓動を刻んでいた。
一緒に店に入ったのは、かつての後輩だった女性。今は別の会社で仕事をしている。彼女とは前職で出会った。早稲田大学のインターン生として入社し、正社員を志望していた。即戦力が求められる現場だったから、スパルタで鍛えた。思い出しても申し訳ないことをしたと思うが、それでも彼女は喰らいついてきた。時には涙ぐみながらも、決して諦めなかった。そんな彼女とこうして並んで食事をするのは、何か不思議な巡り合わせの気がする。今でも時々、ご飯に行きましょうと誘ってくれる。その一言が、過去の悔いを洗い流してくれる。
店の中は静かだった。11時45分オープンという中途半端な時間帯。ランチタイムの喧騒には少し遠い。ネパールの香辛料が漂い、異国の市場に迷い込んだ気分になる。ランチメニューはダルバートのみ。そもそもネパールにはダルバート一品だけの飲食店が多いので、懐かしくなる。さすが人気店。あっという間に席が埋まる。スーツ姿のOLはダルバートをテイクアウトしていた。
皿の上には、スパイスの効いたカレー、レンズ豆のスープ、漬物、そして山盛りの米。香りが鼻をくすぐり、食欲が刺激される。スプーンを手に取り、ダル(豆のスープ)をご飯にかけてひと口。以前より辛さが抑えられている気がしたが、それでもスパイスの熱がじんわりと体を温めていく。
プレミア12を追いかけた著書『燃月』を読んでくれた彼女は、慎重に言葉を選びながら、ゆっくりと語る。野球が好きなわけではない。むしろルールさえ曖昧。それでも本を読んでくれたことが嬉しかった。
「野球に魅了される人の気持ちが少しわかった気がします」
彼女の声には、ただの社交辞令とは違う熱があった。言葉を尽くしながら、何かを伝えようとしている。その誠実さは、かつて仕事に食らいついてきた時と変わらなかった。Amazonに投稿したレビューも1週間も考えて書いてくれた。
皿が空になる頃には、額から汗が滲み、身体の内側から力が漲ってくるのを感じる。ソルティーモードに来たいと誘ってくれた彼女も満足してくれたようだ。
食後のチャイは優しい。スパイスの熱を鎮めるように、甘く、そして香ばしい。ひと口飲むと、最後に言った。
「一番印象に残ったのは、最後の一文です」
そう言って、彼女は微笑んでくれた。
プレミア12を追いかけた電子書籍
Amazon Kindle :『燃月』
燃月に書いてくれたレビュー
なぜ人は野球に熱中するのか。それは青春があるからだと思う。
この本では、プレーする者と観る者の2つの青春が並走する。「観る側」にもカメラが回るからこそ、初心者でも野球の楽しさを感じられる。
結果的に日本は今回のプレミア12で優勝できなかった。けれど選手たちも著者も前を向いて走り続けるのだろう。後ろに明日はないから。
自分も何かを全力で追いかけてみたい。あまりに爽やかな読後感に、思わず空を仰いだ。
エヴェレストで毎日食べたダルバートの憶い出も読んでください。
『月とクレープ。』に寄せられたコメント
美味しいご飯を食べるとお腹だけではなく心も満たされる。幸せな気持ちで心をいっぱいにしてくれる、そんな作品。
過去を振り返って嬉しかったとき、辛かったときを思い出すと、そこには一生忘れられない「食」の思い出があることがある。著者にとってのそんな瞬間を切り取った本作は、自分の中に眠っていた「食」の記憶も思い出させてくれる。
新宿でおすすめのダルバート
ネパールの本場の味を堪能したい場合は「ナングロガル」がおすすめ。皿や盛り付けが全然違う。味を重視するならソルティーモード。雰囲気なら新大久保へ。
大久保に吹くヒマラヤの風