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食いだおれ白書

世界を食いだおれる

道頓堀〜真冬の旋律

Day1:12月23日

クリスマスイヴの前日、御堂筋の街路樹たちの歌は落ち、年末の準備に入っていた。心斎橋から木枯らしが吹きつける。8月に続いて2度目。高校時代、すぐ近くなのに一度も来なかった道頓堀。

ここで師匠が20代を映写技師として過ごした。失われた時を求めてやってきた旅人をイチョウの絨毯が迎えてくれる。冬はあったかい。

一番好きな太左衛門橋に来ると、雪が降ってきた。南は青空が広がっているのに、道頓堀は雲に包まれている。「明日はクリスマスイヴだよ」と空が教えてくれている。

法善寺は「大阪の顔」と織田作之助。石の敷居を魔法のマントと表現する。粋だ。ここに無いのはキリスト教天理教だけらしい。心斎橋の光の洪水に飽きたとき、大阪の郷愁を求めて法善寺に戻ってくる。織田作之助の時代は夫婦善哉の隣に寄席の「花月」があり、笑いと食を求めて来たらしい。なんという素晴らしき時代。

人通りの少ないうちに法善寺の水掛不動尊に挨拶。今回は数日に分けてお世話になります。

初食:花丸軒

道頓堀の食いだおれは朝のラーメンからはじまる。本来なら金久右衛門のブラックラーメンで幕を開けるつもりが、なぜか準備中。24時間営業は土日に限定したのだろうか。

『作ノ作』は空いていたが、1,400円の値段に少しひるんだ。一蘭もミナミにふさわしくない。それにしても、大阪人はとんこつラーメンが好きだ。

他にないかと千日前商店街をミナミへ歩くと『花丸軒』を発見。ここも24時間営業。「法善寺店」が粋だ。

年季のはいった居酒屋の外観と店内。非日常感が薫ってくる。8時前なのに若い人や外国人の観光客で盛況。これぞ道頓堀。「おひとりさん?」という店主の関西弁が心地よい。

「しあわせラーメン味玉のせ」1,000円。

やさしい豚骨。九州のドギツイ濃さはなく、ほんわかした浪速とんこつ。美味しすぎないのが道頓堀の味。深夜バスの疲れを癒してくれる。季節によっても味が変わるだろう。昼や晩、春や秋も来よう。

朝食:丸福珈琲店

丸福珈琲店の前まで来ると粉雪が舞ってきた。夏は深夜に来たが朝8時から営業してくれる。

昭和の残り香が暖かい。ここも観光客で賑わっている。寒いからこそアイス珈琲をオーダー。加糖か無糖か選ぶ。迷わず加糖。

昭和初期に流行ったヤライ柄(竹を組んだ柄)のグラス。小ぶりで持ちやすく、量がちょうどいい。グラスだけで冷コーの味が大きく変わる。

加糖はかなり甘め。子どもでも飲めるようにしている。これはこれで良い。次は無糖も試してみよう。アイスコーヒーは味をすぐ忘れるが、丸福珈琲店の冷コーはインパクト大。道頓堀の冷コーは丸福珈琲で決まりかもしれない。

天王寺七坂

一宿の世話になる日本橋SARASAホテルのチェックインが14時。上本町の木村屋を往復してもたっぷり余裕がある。天王寺七坂を巡ることにした。

天王寺七坂は上町台地の斜面にある7つの坂の総称。織田作之助の『木の都』で知った。上本町と難波を何度も往復しながら、天王寺のことも何も知らない。だから大阪ミナミを冒険する意味がある。ワクワクする。登山家の栗城史多さんに言われたように、人生は宿題があるほうが面白い。

真言

最初の真言坂(しんごんざか)は、生國魂(いくくにたま)神社の北側。明治の廃仏毀釈まで真言宗の医王院・観音院・桜本院・新蔵院・遍照院・曼荼羅院の六坊があったことから真言坂と呼ばれた。唯一、南北に走る坂で、上ると生國魂神社の北の鳥居・石段の前に出る。真っ直ぐな石畳が潔い。真言宗の中学・高校に通い、高野山にも宿泊した自分には縁起が良い。

生國魂神社には織田作之助の像がある。この作家に出逢っていなければ、ミナミのことを何も知り得なかっただろう。

オダサクが書き物の師と仰いだ井原西鶴生國魂神社で俳句興行を打った。西鶴が書いた浮世草子の第一作『好色一代男』を年明けには読んでみたい。

源聖寺坂

源聖寺坂(げんしょうじざか)は天王寺七坂で最も趣深い。幅の狭さ、白壁、石畳、蛇行した石段。どこを切り取っても同じものがひとつとしてない。

石畳から石段に変わる距離も昭和の残り香どころか、大正ロマンすら感じる。

正月はここも初詣の人で溢れるのだろうか。源聖寺は浄土宗。天王寺は仏教の総合デパートである。

銀山寺

坂の上を登りきったところに、ひときわ地味な「銀山寺」があった。1591年に「大福寺」として創建されたが、景色が中国の経山寺に劣らぬことから「銀山寺(ぎんざんじ)」へと改名。命じたのは豊臣秀吉らしい。

境内の空気も良かったが、何より目を引いたのは「苦行仏」。痩せ細った骨だらけの身体に、じっと耐えて瞑った眼。力が湧いてくる。近くに来るたび挨拶しよう。

口縄坂

谷町筋松屋町筋(まつやまちすじ)は寺が江戸時代の長屋のように並ぶ。なんという数、寺院密度は日本一だろう。途中に夕陽丘学園がある学園坂があった。ここを加えて天王寺八坂と呼ぶ人もあるようだが、七坂のほうが趣深い。ただし、沈丁花が道端にあった。春に見にきたい。

口縄坂(くちなわざか)は起伏が蛇(くちなわ)に似ていることから名付けられた。織田作之助が最も愛した坂。この狭さが天王寺の空気を凝縮している。お年寄りが登っていく背中が美しかった。

愛染坂

愛染坂(あいぜんざか)。名前がステキ。坂の下り口に立派な勝鬘院(しょうまんいん)があるらしいが気づかなかった。

7月11日に催される生國魂祭(いくたままつり)と並び、6月30日に開催される愛染まつりは大阪三大夏祭りとして有名。来年の夏は愛染まつりに参加する。夜の愛染坂を見たい。

清水坂

清水坂(きよみずざか)。京都のバッタモンの匂いがするが、あれは法相宗南都六宗の1つ)系の寺院。清水坂上にある清水寺四天王寺の支院。

趣では京都に敵わないが、これはこれで味がある。江戸の時代、大坂の街や大阪湾を見渡す眺望の地だったそうだ。

大阪市内唯一の天然の滝「玉出の滝」(たまでのたき)がある。地味だが、個性があるのが良い。

天神坂

天神坂(てんじんざか)。名前がいい。安居天神(真田幸村が戦死した神社)に通じることが由来で、西は松屋町筋、東は谷町筋まで伸びる。

江戸時代、なにわまちでは質のいい上町台地の水を汲んできたらしい。「天王寺七名水」と呼ばれる湧き水があり、その雰囲気を再現している。旅の疲れをとる水が美味しい。これは小説に書かないと。

坂は下ってみて良さがわかる。山は下りる、坂は下(くだ)る。旅も同じ。片道切符の良さもあるが、往復できるなら戻ったほうがいい。

逢坂

最後は逢坂(おうさか)。なんというラブリーなネーミング。国道25号と呼ぶか、逢坂と呼ぶか。それだけで人生は変わる。

天王寺七坂で最も南に位置する。江戸時代は馬車馬が音を上げるほど急な坂で道も狭く、事故多発地点だった。それを明治9年(1876年)に茶臼山観音寺の住職が寄付を集めて緩やかにする工事を行ったとか。坂に歴史あり。街道をゆく

昼の新世界&通天閣

吹雪く松屋町筋を歩いていたら、いつの間にか通天閣が目と鼻の先にあった。今夜、ライトアップされた通天閣を見るつもりだったが、せっかくここまで来たから昼間も近くで見ることにした。

10年以上前に来たことはあるが、まったく面影はない。小さいというより身近。東京タワーやスカイツリーほど立派ではないが、親しみがある。これぞ大阪のタワー。映画『王将』の影響で初代通天閣に憧れてしまうが、2代目は2代目で悪くない。

通天閣の真下には昭和の残像どころか、昭和そのままの映画館がある。今度じっくり観たい。

ラインアップが見事。仁義なき戦いはテレビでしか見たことないので、思わず入りたくなる。

上映作品は新作なのに、昭和にタイムスリップしたよう。次は映画を観るか。成人映画も観てみたい。なんという麗しき新世界。喪失を失った街。

天王寺動物園

通天閣の隣に天王寺動物園があった。名前は知っているが来園したことはない。上本町に向かっても少し時間が余りそうなので、ネタ探しのつもりで入ってやれ。1,000円を超えるならやめようと思ったが、入園料500円。

天王寺動物園は1915年(大正4年)元日に開園。上野動物園京都市動物園に次いで日本で3番目に長い歴史をもつ。約200種1000匹の動物が飼育されている。新世界ゲート、てんしばゲートの2つ。デートで行くなら夜行性動物舎。夜更かしの好きなフクロウがいる。

新世界ゲートから入ると最初に目に入るのがフラミンゴ。淡いピンクの毛並みが美しい。バレエを彷彿させる。失恋しても片足で踏ん張るフラミンゴ。

夜行性動物舎でコウモリにビビり、鳥の楽園で鳩に癒されたあとはホッキョクグマ。遊びに夢中でこっちを向いてくれないのも可愛らしい。

タイガーハウスことトラ舎に向かう途中にオオカミを初めて見る。細田守の『おおかみこどもの雨と雪』は5本の指に入るアニメ映画なので感慨深い。動物の凄さは眼だ。吸い込まれそうになる。

いよいよトラ。『ロッキー2』でエイドリアンにプロポーズするのが虎の檻の前。学生のときは「なんちゅう場所で結婚申し込むねん」と思ったが、今なら粋に感じる。

間近では見られなかったが、一番凄いのは眼だった。アイ・オブ・ザ・タイガー。ガタイの大きさや猛々しいフォルムよりも眼に圧倒される。

アフリカサバンナのメインイベントに入る。立派な角だが、なんていう動物か名前を忘れてしまった。ライオンやヒョウに頭ばかり下げるハイエナもいた。

オスのライオンちゃんはお昼寝タイム。起こしたら悪い。

メスも寝ていたが、時々こちらを見てくれた。ヘミングウェイの小説『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』では、瀕死の獅子の眼を見たとき、ハンターが猟銃を撃てなくなる場面があった。その意味がわかった。

来る予定のなかった天王寺動物園。しかし、偶然の出逢いと予定調和の破壊こそが旅の最大の醍醐味である。今回の滞在で最も良かったのは天王寺動物園。すっかり長居し、13時を過ぎてしまっていた。再び雪が舞い、強風が吹き付ける。風と共に去りぬ

懐食:木村屋

上本町に向かう途中、四天王寺に寄ったが拝観料がいる。それはないよ、とやめた。そのまま母校に向かう。

この日が終業式なのか、親子連れの親子連れの生徒がいた。緑のネクタイが懐かしい。北校舎とグラウンドは健在。芝生が尾崎豊の『卒業』の歌詞とシンクロし、大好きだった。

卒業以来21年ぶりの母校。德・健・財。思い出した。すべてが立派になっている。令和の学生はどんな気持ちで清風に通っているのだろうか。

3年間過ごした南校舎は変わらず。隣のドンキホーテがやけに目立った。

校舎の裏を抜けると、木村屋だった。前はプレハブのようなパン屋だったと思うが、外装が立派な煉瓦造りになっている。

清風学園の出身かどうかは、ピロシキにマヨネーズを加えたピロマヨを知っているかがリトマス試験紙。卒業して20年経っても残っていてくれた。値段は20円上がっている気がする。

新宿のロシア料理で食べたピロシキも、世界一のパン職人(ブーランジェ)が作ったピロシキも、木村屋の味を超えることはできない。ここに来ただけでも帰ってきた甲斐があった。故郷はひとつじゃない。

昼飯:𠮷野家(上本町)

我が眼を疑った。まだ残っていてくれた。店構えを見るまで忘れていた。一気に色んな情景がバックドラフトしてきた。上本町六丁目、上六(うえろく)。谷九(たにきゅう)ではなくウエロク。

上本町には清風学園と上宮高校があるが、タッチの差で清風が𠮷野家に近い。土曜の昼は授業が終わり次第、生徒が𠮷野家に押しかける。満席でなくても清風のブレザーの中に上宮の学ランが入り込む勇気も余地もはない。肩身狭く、𠮷野家の店内を覗いては隣の隣の松屋に入る姿を何度も目撃した。この牛丼戦争の縄張り争いに勝った清風は偏差値以上の優越感を持てた。

当時、学生も携帯電話を持つようになり、遅刻してくる奴がいれば「𠮷牛買ってこい」とメールしていた。弁当はあるが、早弁で𠮷野家を入れて昼休みに家から持参した弁当を食う。

東京で食べる𠮷野家は美味しくない。不味くないが、味気ないし物足りない。𠮷野家は1899年(明治32年)に東京・日本橋で創業されたから東京のものである。それでも明らかに何かの旨みが足りない。カップ麺は関西と関東で味付けが違うらしいが、𠮷野家も同じだろうか。

牛丼並、ツユダク、生卵、紅しょうが。これでようやく次元と五右衛門、峰不二子が加わり、華麗なるルパンファミリーが集結。味噌汁は銭形警部。

新宿に上京してから抱えていた10年間のモヤモヤを背負って牛丼を口に入れた瞬間、「これこれ!変わってへんやん!」と20年前のご馳走が蘇った。

東京は牛丼の味が足りないのではい。「並、ツユダク、生卵」の呪文が似合わないのだ。江戸の粋は足し算ではなく引き算にある。上本町だからこそ、がめつさが躍動する。

牛丼の量は少なくとも具材で誤魔化そうとした学生のカンニングのような紅しょうがは、20年経って「時のふりかけ」に変わっていた。たかが牛丼、されど𠮷牛。ここが日本一の牛丼屋。これまでも、これからも。

夕食:夫婦善哉

思わぬ寄り道もあり、15時過ぎに日本橋SARASAホテルにチェックイン。良い宿だ。またお世話になるかもしれない。一眠りし、法善寺横丁へ。

今回、絶対に訪れたかった夫婦善哉織田作之助を敬愛する者として外せない。法善寺横丁で最も有名な飲食店。入り口にあるガラス張りの陳列窓。そこに阿多福人形が飾ってある。織田作之助は「法善寺の主」と称えた。入り口にはいくつもの「夫婦善哉」の赤提灯。前はカップルか夫婦しか入りにくいと思っていたが、そんなこと知ったこっちゃない。

カウンターはなし。舞台や映画で演じた役者やロケで訪れた有名人のサインが壁一面。客席より多いのが大阪らしくて微笑む。

夫婦善哉850円を注文すると、女将さんが厨房へ。間髪いれず膳を持ってきた。なんという速さ。せっかちな大阪人も泣いて喜ぶだろう。

善哉ふたつは甘さで飽和すると思ったが、すっとこどっこい、甘さが完璧。くどくなく、甘味の聖域を保っている。独りでふたつ食べても飽きない。またまん丸いツルツルのお餅がアクセント。そして善哉の奥に潜む塩昆布のしょっぱさが絶妙のアシスト。

完璧。850円は高くない。そもそも「夫婦」はふたりで食べるものではなく、1つの量を二分した大阪人のユーモアらしい。何度でも来よう。次は栗善哉か。

相合マッサージ

情けないことに天王寺七坂や天王寺動物園を歩き回ったせいで、右脚のハムストリングが悲鳴を上げた。とても夜の新世界まで歩く気力がない。食欲も湧かず、たまらず相合マッサージに飛び込む。

ここは予約なしで待たずに揉みほぐしてもらえる。60分2,980円。中国人のおばさんで、そこまで気持ち良いわけではない。しかし、何よりも関西弁でも標準語でもない、中国方言が心地いい。「人生を語るには方言がいちばん」と寺山修司。中国訛りや中国語の会話を聞いているとカオスな街・道頓堀が浮き立つ。

マッサージを終え、夜の御堂筋へ。街路樹のイチョウは枯れても、夜の華が咲いている。これがミナミ。

Day2:12月24日

天気予報はハズレ、クリスマスイヴの道頓堀は快晴に迎え入れられた。粋なXmasプレゼント。今日も食う。ミナミの食いだおれ=悔いだおれ。後悔を肯定できる街。9時までホテルで待機し、いざ黒門市場へ。

朝飯:黒門市場

黒門市場中央区日本橋1丁目・2丁目の市場。キの字形に伸びる約580メートルのアーケード街。150~160店舗が軒を連ねる。

歴史は江戸時代に遡り、1818-1831年間の頃。圓明寺(えんみょうじ)という浄土真宗の山門、黒門の前で鮮魚商人らが市を営み始めたのが起源。当時は寺名にちなんで「圓明寺市場」と呼ばれていたらしい。

1912年(明治45年)に圓明寺が延焼して移転したあと、黒門市場と呼ばれるようになった。1945年の大阪大空襲で焼け野原になったが、そこから復興し、現在のような「浪速の台所」「大阪の胃袋」と呼ばれるようになった。

SARASAホテルのある堺筋から黒門市場に入ると、まずカレー屋さんの芳ばしい匂いがくる。そのあと神戸牛などの店を抜けると海鮮市場に変わる。

新魚栄は、赤目四十八滝のある三重県名張市出身の店主が昭和24年に創業。 70年を超える歴史で、社長自らが全国を巡り、厳選した淡水魚、鮮魚を提供している。

大好きな焼き帆立の串焼き500円でスタート。社長がやさしく、座って食べていってくださいと席に案内してくれた。

「まぐろのエン時」は昭和2年から店を構えるマグロ丼や一品料理のお店。こだわりを持つ店だけに値段もスケールがある。

せっかくの機会なので、中トロ三貫、ウニとろ、アサリの味噌汁。しめて2,400円。豪華な朝ごはん。銀座や赤坂の寿司も美味しいが、露店と潮の匂いに囲まれて、ジャージで気軽に来れる市場のほうが何倍も好きだ。

だが伏兵は意外なところにいた。千日前通に出る手前で外国人の男性ふたりが串焼きを出して元気がいい。焼き鳥とイカ焼き。烏賊が最高の海鮮であると信じて疑わないので、串焼き300円だけ買う。タレは控えめであっさり。しかし、これが特大のホームラン。これを300円で提供するとは。恐るべし黒門市場。正月もやっていて欲しい。ここをヘビーローテーション

黒門市場と食いだおれに敬意を表してもう一軒。堺筋の入り口にある「ニューダルニー」へ。老夫婦で営まれている。

ダルニーは先代が中国の大連にあった租界(外国人居留地)から引き揚げてきて大阪阿倍野に昭和22年(1947年)に開業したカレー専門店。現在のご主人は2代目で、黒門市場に移りニュー・ダルニーと改名。近所や商店街のお客様に、なにわの素朴な味を守っている。

カレーうどん700円。大阪=うどん、ミナミ=うどん。もともと、まかない料理だったが、お客様から「それ食べたい!」と言われて出来たメニューらしい。ビーフカレーに和風出汁を加え、注文してから作る。食べているときはあっさりだが、後から身体が熱くなり、口にカレーの味が残る。

ウィンズ道頓堀

1年を締めくくる有馬記念の馬券を買いに、ウィンズ道頓堀へ。「人間同士のドラマを描いても結局は人間を超えることはできないが、偶然の葛藤である競馬は神の意志である」と寺山修司

気に入った名前の馬を買うのが俺流。最も配当が高い馬(通称:徳光買い)、有馬が開催される25日から2番と5番を追加で買う。

明日の有馬記念と同じ舞台、中山競馬場の第1レース。ハズレ。

関西なので阪神のレースも1つ。ハズレ。ここで有馬記念の馬券を落としたが、親切なおじいさんが「落としましたよ」と敬語で教えてくれる。

競馬=ダメ人間の遊びではない。そんな人も多いが、一緒くたにできないのが人生。競馬はいろんな人のドラマを抱えていることを教えてくれる。こういう親切な人は儲けることよりも楽しむことが目的だろう。見習いたい。

結局、有馬記念もハズレ。安月給の中から3,900円が一瞬で道頓堀川に熔けた。これが競馬。それもまた楽しからずや。だから競馬はやめれない。絶望感から這い上がろうとする一瞬が病みつきになる。

代わりと言ってはなんだが、実家に帰るとき日本橋のゲーセンでオルフェーヴルを100円でゲットできた。最高のXmasプレゼント。宝塚記念ではなく、有馬記念のゼッケン6番にして欲しかったが。一言余計だが、これが競馬ファンである。

スイーツ:英國

大阪のいってっしゃいキャンペーンのクーポンが1,400円残った。専用のアプリで支払うのだが、PayPayの「ペイペイ」という無機質な音声と違い、「おおきにぃ〜」という掛け声が良い。来年の3月も復活してくれるそうで楽しみ。PayPayも「サンキュー」とかに変えてくれないだろうか。

とにかくクーポンが使える店が限定されるので店を探すのも大変。しかし、逆にこんな機会でしか行かない店もある。そのひとつがカフェ英國屋。

昭和36年12月1日に、ここ難波のカフェストリートに1号店が誕生した。フランチャイズにはせず、すべて直営店で、人の流れの要であるターミナルに立地している。

アンティークな柱時計と蝋燭を模したウォールランプがいい。花丸軒、天王寺動物園英國屋と第3の男が現れた。旅は偶然の出逢いと予定調和の破壊が最大の醍醐味。人生も計画通りにいかない。予想外の旅のほうが、人生とスウィングする。

1,200円でプレーンワッフルを注文。サクサクの食感、蜂蜜の甘さが心地よい。チェーン店と思って舐めていたが、虜になってしまった。蜂蜜と遠雷。3月もキャンペーンがあるので、そのときにまた来たい。次はパルフェ

DAY3:1月2日

令和五年の年が明けた。正月は故郷で初詣に参って風邪をひいた。それでも食いだおれは止まらない。悪化しようが行進をやめるわけにはいかない。

上本町の駅は閑散としていたが、近鉄百貨店の初売りセールには30分前から行列ができていた。母校の清風学園では正月に学校に呼ばれる「拝賀式」があり、それが大嫌いだった。今となっては佳き思い出。駅を出て上町筋を渡り、生國魂神社へ。

生國魂神社

日本書紀にも登場し「いくたまさん」の愛称で呼ばれる生國魂神社。思った以上に気配が少ない。

本殿には列ができているが可愛らしいもの。3日間で50万人が参拝する故郷の大神神社とは比較にならない。大阪の人間もここではなく、大和に足を運んでいるのだろう。

出店もまばら。チヂミを買おうか迷ったが、やめた。「韓国の粉もん」と表現していたのは面白かった。生國魂神社ではトイレだけ借りた。次に来る夏祭りはもっと盛況だろうか。

銀山寺と苦行仏に挨拶。誰もいない。閑かな正月。東京に戻ってから再開する喧騒を考えると、正月はこれくらい落ち着いているほうがいい。

天王寺七坂のひとつ源聖寺坂。やっぱりこの坂の風情がいちばん。山と同じく坂も下ってはじめて良さがわかる。夏に帰ってくるのが楽しみだ。

正月の黒門市場は予想以上に賑わっている。閉まってる店も多いが、この活気がミナミに似合う。

「アンニョンハセヨ」と外国語が飛び交う。日本人よりアジアの方が多いのではないか。インバウンドと無機質な単語が流行している。日本人より外国の方のほうが行動力がある。

お目当てのイカ串がなかった。3月にリベンジ。

相合マッサージはやっている。うれしい。入りたかったが我慢。次は3月。

正月も変わらぬ太左衛門橋。ここが俺の道頓堀。

川の水は少し淀んだ気がする。気のせいでだろうか?水が汚くても道頓堀川の風情は変わらない。

戎橋から御堂筋は流石の人ごみ。冬枯れも御堂筋に似合う。

アラビヤコーヒー

正月からやっていてくれた。店内も盛況。若い人が多い。地元ではなく、観光客のようだ。カウンターに座る。ご主人と奥様の他にもふたり若い男女の店員さん。4人で大忙し。

冬に飲みたくなるカプチーノ、アラビヤコーヒーでは「カプチーノ風メランジェコーヒー」という。740円。わざわざ"風"と謙遜するところに珈琲へのリスペクトを感じる。口に運ぶとメレンジュが唇を包み込む。下には冬のあったかさを閉じ込めた珈琲。やさしさを凝縮。冬はこれで決まり。

ニートーストはアイスなしで660円。分厚いトーストを歯でくしゃっと噛んだとき、ハチミツの甘味がちょうどパンと調和する。甘くやさしく、そして力強い。日本一のトースト。これからアラビヤコーヒーに来たときはハニートースト。「明けましておめでとうございます」ではなく、正月でも変わらぬ「おおきに」の挨拶。ここが日本一の喫茶店だと再認識できた。

松屋

昼ごはんに迷い、千日前をぶらぶら。いつの間にか道具屋筋に入る。千日前セントラルから10メートルほどの松屋。店の外には食券機があるが、お店はかなり年季が入っているが、どうやら2009年オープンしたらしい。

かけうどん200円。5人の店員さんが忙しなく動く。14席のカウンターは埋まっている。大人気店。ランチ単価1,000円を超える道頓堀でうれしい値段。意外とかけうどんで腹もふくれる。

6日来たときは家具専門街の亀王に来よう。

玉撞屋:アイオイステージ

12時過ぎに行くと玉撞屋が開いていた。13時からオープンらしい。プールバーではなく玉撞屋がいい。松屋と同じ2009年のオープン。

店に入るとスキンヘッドのマスターが箱根駅伝を見ている。「駅伝お好きなんですか?」と訊くと、「ただテレビつけてるだけや」

常連さんには親しく、一見にはそっけない。なにわの接客らしくていい。

久しぶりのビリヤード。去年、午前十時の映画祭で『ディアハンター』を観てからウズウズしていた。まずはナインボール

暖房は古い石油ストーブのみ。台はアメリカ製のbrunswickと、ベルギー製のverhoevenの合計8台。プロも常駐しているらしい。寂れた店かと思いきや、次々と常連さんがやってきて台が埋まっていく。

今日が営業はじめらしく「あけましておめでとう」と挨拶。サンガリアのラムネを100円で買い、1時間だけ遊ぶ。ナインボール2回とローテーション1回。良い撞き初め。660円。3月も遊ぼう。

昼飯:アメリカン

最後はアメリカン。「賀正」の優雅な看板が心地よい。これは入らないと。

若大将・加山雄三が必ず頼むクリームソーダ。800円。オトナ向けに甘さ控えめ。しかし、あとから炭酸のキレが追いかけられて斬られる。天翔龍閃。アイスもシャリシャリ。高級和菓子にも使用される糖蜜を使ったオリジナルブレンドのシロップをソーダで割っているとか。これはいい。夏は一択。

ミートソースも悪くないが、イタリアンの美味さには遠く及ばず。店内が激混みで1時間近くかかっていた。タイミングも悪かったか。

食後のホットコーヒーもまあまあ。アメリカンでのメニューが固まってきた。3月はオムライスとプリンフラッペ。

DAY4:1月4日

石井慧のボクシングを見るため、再び道頓堀へ。今回の旅は上本町への回帰線でもあったので上本町駅から歩く。

高津宮

大阪でいちばん短い橋と織田作之助が描いた「梅乃橋」
1768年に長浜屋五郎兵衛が奉納。かつて高津宮が梅の名所だったことから名付けられた。梅は大阪の府花。これは3月に来ないと。

昔は橋の下に「梅川」が流れ、これが道頓堀の源流だったらしい。なんて素晴らしい場所。すっかり虜になってしまった。

4世紀、日本に漢字を伝えた王仁博士の碑。難波津の歌が素晴らしい。

難波津に  咲くやこの花  冬ごもり  今は春べと  咲くやこの花

織田作之助の小説を読むまで名前も知らなかった高津宮(こうづぐう)。「たかつみや」でなく音読みなのが素晴らしい。

質素で生國魂神社より好きだ。どこか故郷に似ている。

落語『高倉狐』の舞台、高倉稲荷神社。落語を聴いてから再び訪れたい。

かつて落語の寄席だった「高津の富亭」。いつかここで落語を聴いてみたい。5代目・桂文枝の『高津の富』を生で聴きたかった。

縁結びの相合坂。名前がええよね。

思わぬラッキーホームラン。高津宮、大好きになってしまった。次は秋祭り。

下大和橋

道頓堀川は高津から入るのが最も趣深い。道頓堀川の最上流に架かる下大和橋から日本橋を望むと、道頓堀川が孤島に見える。あそこに行けば、喧騒が待っている。異世界に迷い込める。

下大和橋は正徳5年(1715)に初演された近松門左衛門の『生玉心中』で既に登場する。橋の名前の由来となった大和町は、東横堀川から日本橋筋付近までの町。明治36年(1903)に金比羅詣の舟の発着場ができ、最盛期には1日2万人もの利用客があったらしい。もともとは木橋だったが、昭和3年に近代橋に架け替えられた。

青空と道頓堀。相合橋と道頓堀川こそ相思相愛。

亀王

ラストショーは亀王。千日前の家具専門街。サウスロードと呼ばれるが、家具専門街のほうがミナミに合っている。

お店は、難波NGK前店なので吉本の芸人さんのサインが埋め尽くす。

これこれ。ちゃあしゅう麺。チャーシューではなく、肉汁が出る肉厚の”ちゃあしゅう”。豚バラ肉を秘伝のタレでじっくりコトコト煮込んでとろとろ状態に。げんこつやロース骨を店で砕き、野菜と一緒に、超強火で一気にグツグツと炊き上げる一番搾りスープ。

清風高校の土曜の授業が終わったあと上本町店の亀王が1週間のご褒美だった。𠮷野家は清風人で埋め尽くされるので、亀王か伊勢屋の天ぷらうどん。

ラーメンに具は要らないと思っていた自分に初めてチャーシューの美味しさを教えてくれた。瓶のコカコーラと頼むのが清風魂。ありがとう千日前。