中学・高校がすぐ隣の駅なのに道頓堀には一度も来たことがなかった。
某プロ野球チームの影響で「怖い」「汚い」の印象がすっかり定着。同じ難波にありながら、プロレスを観に何十回も通った大阪府立体育会館の聖域とは反対。まさにアンタッチャブル。難波には何度も足を運んだのに、もったいことをした。だけど、この歳になったからこそ、道頓堀が大好きになれた。
DAY1:8月12日(金)
会社の休みを取ってバスタ新宿から難波へ。窮屈な深夜バスに揺られ、久しぶりに大阪の地を踏む。
人通りが少なく、廃墟のようにシャッターが閉まった千日前の商店街を抜けて道頓堀へ。呆気なく5分ほどで川の前に立つ。
近そうでまだ遠かった道頓堀。こんなに身近だったのか。そして、相合橋の先に最初の目的地・金龍ラーメンが見えた。
始食:金龍ラーメン
石を投げれば金龍ラーメンに当たる難波。中学生か高校生のとき商店街で食べた記憶がある。そのときは美味いと思わなかった。
誰もいないひっそりした店内。単独の朝ラーメン。これだけでこの旅は勝ちだと思えた。
あっさり、とんこつ、キムチ。ちょっとカオスな感じ。いかにも道頓堀。ラーメンは街を映す鏡だ。
24時間営業再開しました!が力強い。ミナミに自粛は似合わない。
次は夜の金龍ラーメンを食べに来よう。めちゃくちゃ美味いわけではないのに、なぜか惹かれてしまう。超美人よりも性格の合う女性を好きになる感覚かもしれない。道頓堀の顔と言えるほど、この街に似合っているのだ。
ラーメンを食べ終えると相合橋を渡って宗右衛門町へ。今夜は祭りらしく、提灯が並んでいる。夜が楽しみだ。
宗右衛門町に入ると少し空気が変わる。ここも夜の街。今回は、道頓堀川の南岸を巡る旅なので、次来るときじっくり堪能したい。
玉屋町筋 札幌ラーメン獅子王
笠屋町筋 夜あけ寿司
畳屋町筋 万が一
味のある名前の道ばかり。行きたい店は尽きない。
法善寺横丁は長さ80m、道幅2.7m石畳の路地。老舗の割烹やバーをはじめ、串カツ、お好み焼き、お寿司など、大阪ならではのお店が60軒ほど並ぶ。昭和15年(1940)までは極楽小路と呼ばれていた。
道頓堀といい千日前といい、ミナミは響きが幽玄だ。観光地というより近所の散歩感が心地いい。「法善寺横丁」の「善」の字は一画抜けている。看板を書いた藤山寛美がわざと抜いたらしい。粋だ。
ここには明治から昭和初期にかけては、「紅梅亭」や「金沢亭」の寄席があった。なんという趣。新宿の末廣亭も法善寺横丁には敵わないか。
法善寺は浄土宗の寺院で寛永14年(1637年)に建立。近くには夫婦善哉で有名なお店があったので、次回は織田作之助の小説を読んでから来たい。
朝食:アラビアコーヒー
最も来たかった場所。いつか書く小説に喫茶店トークは欠かせない。
アラビアコーヒーは1951年(昭和26)創業。昨年70周年を迎えた。先代のマスターである髙坂光明さんが開業。現在は2代目のご主人・明郎さんが一子相伝。壁も椅子も掛け時計もテーブルまであらゆるものが珈琲色に彩られている。壁にはプロ野球選手のサインボールや写真。好きなものだけで埋め尽くされている。
職人のこだわりではなく、愛情に溢れた母親の胎内にいるかのような空間。木の温もりとマスターの物腰の柔さかに包まれる。
最初はキリマンジャロ。そしてトースト。大阪のアクの強さはなく、やさしい。これは色んな種類の豆を試したくなる。
追加で、手作りプリンを注文。奥様の久美子さんが子供のころに食べていた母親の味を再現したそう。
道具屋筋、千日前セントラル
旅のメインイベント。なんばグランド花月を過ぎると、千日前道具屋筋商店街の入り口が見えてくる。道具屋筋は料理道具・厨房道具が揃う商店街。「天下の台所」「くいだおれの街」である大阪を支える。
平成でも令和でもOBとしての昭和でもなく、現役の昭和が生きている。
千日前セントラルの隣にある陶器店で料理道具を買いながら話を聞く。60歳前後の店員さんによると、小さい頃よく通ったらしい。映画館の横手に地下へ行く通路があり、そこから忍び込んで映画を観たとか。具体的な作品は覚えていなかったが、60年代前半の映画だったのかもしれない。
師匠が映写技師の日々を過ごした千日前セントラルは2006年(平成18年)に60年の歴史に幕を下ろし、現在はスーパーマーケットになっている。
映画館はなくなったが、いつか小説で蘇らせてみせる。
昼食:自由軒
師匠が映写技師の時代に通った自由軒。自分も学生時代に来たことがある。1910年(明治43年)、大阪で初の西洋料理店として難波で創業した。さすがの人気。
パーテーションとマスク以外、なにひとつ変わっていない店内。威勢のよい女将さんも、いかにも大阪のおばちゃん。心地いい。
『名物カレー』。自分で名物と名乗るところが大阪っぽくて好き。ただし、口だけではない。合成保存料などは使わず、作り置きをしない。難波本店では、その日、お客様に出す分だけ作っており、レトルト食品も無し。
具はトマトピューレ、タマネギと牛スジのブイヨン。フライパンでしっかり炒めて、風味を出す。そこにじっくりと煮込んだ出汁を入れる。
辛さと旨味に生卵のまろやかさ。マイルドな味にするのではなく、風味を膨らませる。濃厚なのに食べ飽きない。800円も納得。毎日でも来たい。
間食:北極アイスキャンデー
関西のアイスキャンデーといえば551だが、ミナミといえば戎橋商店街の北極アイスキャンデー。昭和20年創業でミルク・あずき・パインを発売。現在は1本170円だが、当時20円だった。
棒は奈良県吉野産の割り箸を使った極細、砂糖は後味がさっぱりしている白双糖、-24°で約2時間冷凍する。
大阪のようなパンチの効いたアイスではなく、やさしく包んでくれる。夏じゃなくても美味しく感じられそうだ。
喫茶:レコード喫茶
ホテルのチェックインまで時間があるので、ぶらぶら歩いていると難波駅の近くに「カフェストリート」を発見。御堂筋と戎橋商店街を結ぶストリート。なんという心地よい響き。
石畳みの通りに、オシャレでシックな店が所狭しと並ぶ。
1968年創業の『Café The Plant Room』が最初らしい。行ったことはないが、パリはこんな雰囲気なのかもしれない。次に来たときはここで紅茶とパフェを食べたい。フランス映画の談義が似合いそうだ。
一際、目を引いたのがここ。隠れ家なのか、煌びやかなのか、エルヴィスやフランク・シナトラなどオールディーズの屏風。
レコード喫茶「グラフィティ」という名前がいい。外観から内観まですべて凝っている。「古き良き日のレコード音楽のあった心地よい喫茶店」を再現。金 & 土日祝 12:00〜18:00と営業時間は短め。
場末のカフェというか、とにかくカラフル。赤い椅子がよき。目の前で『バック・トゥ・ザ・フューチャーII』をやっていた。思わず見入ってしまう。シリーズの中ではI、Ⅲが好きだが、やはりロバート・ゼメキスはすごい。
アイスコーヒーの前に、大阪名物みっくすじゅーす。真夏だからか、とにかく美味い。グラスの形も秀逸。大阪でいちばん美味いんじゃないか。
何時間でも居座ってしまう。巨大なタイムマシン。
冷コーのグラスも滋味深いが、やはりこの店は、みっくすじゅーす。夏は必ず、みっくすじゅーす。いつも心に、みっくすじゅーす。
ビジネスイン千日前ホテル
二宿の世話になるビジネスイン千日前ホテル。迷いに迷って発見。ビルの中に埋もれており、入り口がわかりにくい。しかし、安ホテルと侮るなかれ。接客も丁寧で内装も綺麗。はっきり言って惚れた。道頓堀の常宿にしたい。
日本橋からの夕陽の美しさよ。このまま世界が終わってもいい。陽はまた昇らなくていい。そう思えるノスタルジア。
晩飯:大阪王将
帳がおりた。道頓堀の夜を泳ぐ。歌舞伎町と同じく道頓堀は夜に目覚める。1日の終わりではなく、夜に呼吸する。夜の光合成。
昭和グラフィティ。なんという情緒。令和と昭和の饗宴。射的はやるものではなく、遠くにありて思うもの。故郷と同じ。
やはり金龍ラーメンには夜が似合う。道頓堀筋の夜王。次は夜に食う。
同じく道頓堀筋で存在感ありまくりの大阪王将。「餃子の王将」が有名すぎて知らない人も多いが、餃子の王将は別物である。
大阪王将は京都にあった餃子の王将の開店から2年後、1969年に大阪の京橋に誕生した。その割になぜか、ここ道頓堀が本店となっている。
1Fから4Fまで180席あるらしいが、1階は狭め。カウンター席に腰掛ける。
ど定番の王将セット。味は餃子の王将のほうが上だが、俺はダントツで大阪王将派。
杏仁豆腐でフィニッシュ。当たり前を非日常に変えてくれる。
食い終わったあとは、道頓堀を散歩。1615年に道頓堀が完成し、戎橋がかかった。川が流れ、人が流れ、町ができる。
ちょうど道頓堀川万灯の開催期間。1999年に始まったらしく、深里橋から日本橋の約800mの区間で1300灯の提灯が設置されている。
宮本輝『道頓堀川』で登場した幸橋まで歩き、道頓堀を見つめる。主人公・邦彦は道頓堀が陸の孤島に見えた。当時は情緒があっただろうが、今は阪神高速道路ができ、無機質に思える。早く道頓堀に戻りたくなった。
今朝初めて訪れ、まだ数時間しか居てないのに、もう郷愁をまとう。これが道頓堀の夜想曲、ノクターン。
DAY 2:8月13日(土)
7時に起き、相合橋。歩いて1分。なんという立地。朝の散歩で道頓堀川が視界を独占する幸福。夜の雰囲気は最高だが、人のいない朝も負けていない。ショパンの英雄ボロネーズが似合う。
昨日の曇天から一転、青空が広がった。俳優の榎本佑は学生時代、1日9回映画を観ていたらしい。俺は1日9食を目指す。
早朝:金久右衛門
昨日の金龍ラーメンに続いて朝ラー。金久右衛門という名が道頓堀によく似合う。1999年7月創業、道頓堀店は2011年のオープンと新しい。金~日、祝前日は24時間営業。ありがたい。
創業者は「いらっしゃいませ」と言ったことがない(飲食店のアルバイト経験なし)、皿の洗い方もフライパンの振り方も分からない、包丁はネギ一本切れる腕前のド素人のラーメンでお客様に怒られっぱなし。赤字が膨らみサラ金地獄で借金の取り立ての日々が続いたという。
信頼していた従業員に売上げを持ち逃げされ、2店舗閉店し本店1店の独りでリスタートしたとき、現在の大阪ブラックのレシピが誕生したという。濃口醤油ベースだが、見た目に反してやさしい。大阪のコテコテ感がないところが男心をくすぐるではないか。苦労した店主の人柄が溢れていた。
朝食:アラビアコーヒー
ホテルで二度寝したあと、10時半にアラビアコーヒーへ。カウンターに腰かけ店主と会話。関西人のアクのキツさがない店主だが、自分と同じ巨人ファン。王・長嶋の影響らしい。昔はプロ野球選手を目指したが、背が低く断念。思わず野球トークで盛り上がる。
今日はアイスコーヒーを注文。悪くはないが、アラビアコーヒーの温かさにはホット珈琲が合う。
フレンチトーストも厚みたっぷり。軽めの朝食にはピッタリのあっさり。
昼食:純喫茶アメリカン
純喫茶巡りにブレーキはいらない。昼食に向かったのは昭和21年の創業『純喫茶 アメリカン』
住所は道頓堀、太左衛門橋の近くにある。終戦の翌年に「アメリカン」という屋号は、かなり思い切った決断だったに違いない。
店内は写真禁止だったが、外観の豪華さからわかるように空間にこだわっている。宮廷のようなシャンデリアに螺旋階段。落ち着いたクラシックの純喫茶と違い、ラグジュアリーな気分に包まれる。また、店内が広いのでガヤガヤしやすい。いつもごった返している。
ホットコーヒーにイタリアン。950円。今ではナポリタンが共通語になっているが、かつて関西では「イタリアン」と呼ばれていた。今も昔馴染みの呼び方をしている。
ナポリタンは家でも作るが、差別化が難しいパスタ。アメリカンではオリジナルでブレンドしたトマトケチャップで味付けし、飽きない懐かしい味付けを意識。具材はハム、玉ねぎ、マッシュルーム、ピーマンとシンプル。
喫茶店のナポリタンはよく食べるが甘すぎず、麺の存在感が強い。バランスが見事で「イタリアン」という違う種類に思える。
会計のとき、オーナーの女将さんに美味しかったと伝えると「今度は大盛りを食べてください」と言ってもらえた。ヘビロテ確定。
間食:なんばうどん
イタリアンで大満足だったが、難波3丁目にある『なんばうどん』へ。どうしても来たかった。師匠が映写技師の時代に通った立ち食いうどん。
千日前セントラルの隣には、肉吸いの発祥で有名な『千とせ』がある。今では平日の開店前から大行列ができているが、師匠は一度も行ったことがないらしい。ファストフードを愛する師匠らしい。天才になると、早くて美味い店が正義なのだ。
素うどん(かけうどん)200円を注文。蒲鉾とネギが入っており、やはり素うどんではなく、かけうどん。師匠の時代は月給15万円で130円だった。
値段は変わったが内観には70年代の残り香が漂い、昭和が現役だった。
涼食:551蓬莱アイスキャンディー
ホテルへ戻る前に551蓬莱へ。551HORAIは終戦の年の昭和20年、難波に羅邦強(株式会社蓬莱前社長)と2人の仲間によって産声を上げた。中国語で桃源郷を意味する「蓬莱」が由来。3人は独立し、羅邦強が株式会社蓬莱を立ち上げたという。
551は、羅邦強が吸っていた外国産の555(スリーファイブ)のタバコがヒント。戦後、横文字に慣れていない日本で数字なら覚えやすく、万国共通。当時の本店の電話番号64-551番から551HORAIの名前が生まれた。
今では551=豚まんのイメージが定着し、難波本店では2階で中華料理が単横でき、連日の行列を作っている。
自分は豚まんも中華も興味がなく、551といえばアイスキャンデー。子どもの頃、なによりのご馳走だった。
551のアイスキャンデーは、湿気の多い大阪の夏の暑さを少しでもしのげるようにと、1954年(昭和29年)に誕生。1957年(昭和32年)にはブルーのストライプにシロクマのデザインがイメージキャラクターになった。シロクマは「イッちゃん」という。
豚まんや食事と違い、アイスキャンデーは並ばずに買える。1本130円と北極アイスキャンデーより40円安い。やや甘味が強く、自分にはうれしい。ここでも平成が現役だった。
夕食:道頓堀 今井
ビジネスイン千日前ホテルに戻ってベッドに寝転んで観光マップを眺めていると「道頓堀 今井」が目に入った。道頓堀には少し似つかわしくない上品な外観は前日から気になっていた。私有地である浮世小路の名前も粋。
昭和21年(1946)創業。大阪大空襲から逃れ、疎開先での生活を経て道頓堀に戻ってきた5代目・今井寛三が食べ物屋として再出発。1949年に今の出汁を完成させたという。
北海道産の天然真昆布と九州産のさば節とうるめ節を使用した出汁。底が見えそうな澄んだ出汁がやさしい。今回は味よりも雰囲気を味わった。今度は昼食に来たい。
晩食:自由軒
すでに7食目だが、しっかり晩飯は食う。自由軒に向かいハイシライス。ハヤシライスじゃないところがい粋だ。玉子の黄色とグリーンピースの緑。
名物カレーと違った人情が味わえる。名物カレーと交互にキャッチボールしたい。聖なる浮気。
冷食:北極アイスキャンデー
ご飯もののあとにデザートを欠かしたらバチがあたる。アイスキャンデーのダブルヘッダー。北極アイスキャンデーは創業した昭和20年の翌年には進駐軍からココアを輸入し、ココア味のアイスキャンデーを販売していた。
バニラと二択。コーヒーじゃなくココアが大阪らしい。
余韻を引きずって道頓堀川へ。祭りの提灯と盆踊りが賑やか。そこにクルーズ船が川を割く。ここは日本一の川だ。
こんなに狭いのに、まだこの街の魅力を味わい尽くせない。人生であと何度、来られるだろうか。
戎橋は相変わらずの人手。真夏の熱気を凝縮している。
夜食:丸福珈琲館
明日でいよいよ道頓堀とお別れ。このまま1日を終えるのがもったいない。
ビジネスイン千日前ホテルから歩いて1分のところにある「丸福珈琲館」。鳥取出身の伊吹貞雄氏が昭和9年(1934年)に創業。最初は新世界に構えたが、戦後になって現在の千日前に移った。
終戦後のミナミを見守ってきた88歳のベテラン。1階は95席、2階は22席。
店の看板は、『丸福』という屋号と創業者の『伊吹』が姓名判断で相性がよく、『福』とともに『S.IBUKI』と表記した。
丸福珈琲館は第二次世界大戦との関わりが欠かせない。多くのお客様に赤紙が来とき「これが最後の珈琲の味やなぁー」と戦場に向かったという。
名物の角砂糖は戦後の貧しい時代に、親子連れのお客様が、子どものおやつ代わりに丸福の角砂糖を食べさせたことから、当時の家族の思い出を大切にしている。
ブレンド珈琲とホットケーキを注文。横浜にある大倉陶園の白磁カップに深煎り豆を初代オーナーが開発したオリジナルのドリッパーで抽出。
ホットケーキは注文を受けてから1枚1枚、銅板で焼き上げる。フワフワ、サクサク。食感がたまらない。
次は冬に来てブレンド珈琲とホットケーキを堪能したい。
DAY 3:8月14日(日)
ラ・カンパネラ。誰がために朝は来る。ついに最終日。千日前筋を散歩。
太左衛門橋。いちばん好きな橋。いつ架けられたか不明なのがいい。歌舞伎の小屋を開いた興行師・大坂太左衛門に由来するという。
今日、新宿は台風らしい。こちらは快晴。名残惜しさを吹き飛ばすため最終日も食べ尽くす。
早食:作の作
道頓堀が観光客の足音に起こされる7時前。
やさしいとんこつ醤油。ここの名物はチャーシューのバカ盛り。失敗した。無念。次回への宿題にしたい。
朝食:アラビアコーヒー
ホテルに戻り二度寝。起きてテレビをつけると甲子園。横浜高校の夏が終わった。不思議なもので高校野球は勝者よりも敗れた高校の名前を覚えている。10時半に最後のアラビアコーヒーに向かった。お店の前に来るとふわっと薫る匂いが、今日は少し寂しい。
ブレンドコーヒー550円。そもそも珈琲の歴史は6世紀頃にエチオピアで発見され、13世紀にアラビアに伝わったとされる。
大阪は喫茶店とコーヒーの街だが、その原点を伝える店。
アラビヤサンド(ハムと卵のトーストサンド)940円。注文してからマスターが丁寧に焼き上げてくれる。甘い卵とケチャップの甘みがよき。
間食 純喫茶アメリカン
昼飯前にもう1軒。アメリカンをもう一度。
名物でもなんでもないケーキ「オペラ」600円。名前がいい。店内の装飾とマッチしている。
オペラは、1954年にフランス人のシリアック・ガヴィヨンが開発したと言われる。ガトーショコラの一種で四角い形状。高さは2センチメートル程で何層にも重なった断面が豪華絢爛なパリのオペラ座の観客席を表している。
菓子職人にとって究極の目標と言われ、まさに甘さの聖域。日本一美味いケーキかもしれない。次も絶対に食べよう。
ミックスジュースも美しいが、これはグラフィティに軍配が上がる。アメリカンはオペラとイタリアン。次はクリームソーダに挑戦だ。
すぐに昼飯は無理なのでホテル近くの相合マッサージ。台湾か中国か、女性のマッサージ師。特徴はないが旅にマッサージはつきもの。次も来よう。
昼食:お好み焼きおかる
いよいよクライマックスが近づいてきた。粉もんのツートップ、お好み焼きからタコ焼きへの勝利の方程式。開店前から行列ができている。
並ぶ店には行かないと決めていたが、ここは別格。別腹。
道頓堀焼きそばが気になる。のり茶漬けもいい。食う前からリピート確定。
オーソドックスな豚玉を注文。はじまりはいつも豚玉。アルバイトの若いにいさんにマヨネーズアートをお願い。もちろん通天閣。
素晴らしい。これぞミナミ。通天閣は遠きにありて思ふもの。イカ玉になろうが、ミックスになろうが、必ず通天閣を描いてもらう。
締食:会津屋たこ焼き
フィナーレは長年の思い出。高校生の頃からプロレスを観に来るたびに訪れた会津屋。大阪府立体育会館への聖地巡礼。
食べものに「べき」論はNGだが、たこ焼きだけは会津屋でなければいけない。これまでも、これからも。
美味しすぎない美学
道頓堀にはミシュランで星を取るような懐石や、池波正太郎が愛したような一人前4,000円近い高級料理もある。
そういった店の敷居をまたいでこそ、道頓堀の真価は掴めるかもしれない。だが、道頓堀はどこまでも庶民に偏愛したい。
美味しすぎない味の先には「おおきに、また来てや」という沈黙の余韻がある。今回、若者が行列をつくるお店には行かなかった。だからこそ、道頓堀や千日前にはOBとしではなく、現役の昭和がそこにあった。
次は12月、年の瀬に訪れる予定だ。これからも道頓堀の漂流を愛したい。