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食いだおれ白書

世界を食いだおれる

味の風にしむら

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『にしむら』を知ったのは2012年、ミシュランガイド奈良に一つ星レストランとして紹介されたときだった。「奈良にうまいもん無し」と揶揄されるが、まさか地元の桜井にそんなお店があるとは露知らず。親に訊いても知らない。場所を見ると桜井市民会館の近くだが、完全な路地裏。

商売っ気がなく、料理仲間や紹介のお客様が食べに来るのだろう。そういうお店は多い。当時はお昼のコースで3,780円。大満足で帰ったが、翌年に自分が上京すると足が遠のいてしまった。2年連続で年末年始に帰省するので、両親に親孝行をと提案した。

12月29日。10年ぶりに訪れるが、一方通行の多い路地裏でやっぱり道に迷う。看板もなく、なんの目印もない白壁のアパートの一角のような場所に佇む。これでは迷うのも無理はない。

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ようやく到着。ああ、確かこんな感じの店やったな。朧げな記憶が少し蘇る。お店が開く11時30分に入ると、若い料理人の方が鰹節を削っていた。にしむらの日常の光景だ。

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「味の風にしむら」はカウンター10席だけの日本料理。昼夜10名ずつ、1日20人限定で和食をふる舞う。桜井で生まれ育った西村宜久さんが志すコース料理7品。ランチは5,500円。東京だと倍以上の値段がする。

一品に使う食材はふたつ程度。ひとによっては簡素が物足らないかもしれない。お品書きもメニュー表もない。これが、にしむら。

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一品目は蕎麦がき。蕎麦掻きとは、蕎麦粉を熱湯でこねて餅状にした食べ物。上には鮫皮のおろしですっていた生わさびが添えられる。

ご主人の西村さんの実家はお鮨屋さん。そこでは粉ワサビを使用していたらしく、初めて生のわさびを食べたときは感動したという。

強い旨味はないが、にしむらの温かさと姿勢を感じられる。これが本当の強さかもしれない。蕎麦つゆが何ともいえないやさしさをじっくりと醸し出す。第一幕から気分上々。

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二品目は鱈の白子を焼いたお吸物。母親は初めて白子を食べるようで、これが一番気に入っていた。プリプリの食感と香ばしい焼きが絶妙の緩急。お椀の中でやさしさが漂流する。

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三品目は炙った鰆(さわら)と山芋を柿ポン酢に和える。先月に残った柿を熟成させておき、ポン酢に。食品ロスと言ってしまっては軽い。食への志が垣間見える。大和の国で育ちながら、あまり柿を食べない自分だから余計に柿を使った郷土食が出てくれたのがうれしかった。

大和の国のカラーは柿の色な気がする。

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四品目は太刀魚の塩焼き。山に囲まれた大和人は海への憧れが強い。にしむらでは肉を出さず、海の幸や身近な野菜を提供するようだ。

太刀魚の塩焼きだけでもあっさりした滋味を楽しめるが、炙った胡麻の香ばしさが援軍に加わる。大和の「風」を届けるにしむらには、香りが大切な調味料。最初に出されたおしぼりにも、ほのかな芳香だった。

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五品目は海老芋の唐揚げ。父親はこの料理を気に入っていた。

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海老芋は主に京都で採れる食材。おそらく人生で初めて味わう。蒸したての石焼き芋のように甘く、さらにやさしい。サクサクの食感からホクホクの味わいへ。触覚の駅伝が料理人の腕の見せ所。

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次の料理に信楽焼きの土鍋窯が登場。漆黒の光沢が美しい。調理も味である。東京のミシュランの店は料理人同士の会話がカウンターで挟まるが、にしむらは無音。お客様との会話だけ。

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五品目は一汁三菜。にしむらの魂、ちりめん山椒ご飯、香の物、味噌汁。

ご飯はおかわり可能。お米は瑞々しく、適度な水分がある。お粥ほどではないが、炊き立ての食感。香の物は白菜と大根。浅漬けなのか、こんなやさしい漬けかたがあるのかと思うほど酸味が強調しない。漬物はこうであってほしい。

いちばん気に入ったのが蟹の出汁のお味噌汁。澄んだ味噌のあとに蟹の旨味がフワッと薫る。まさに味の風。にしむらの料理は新海誠の作品に似ている。いつも見ている風景を見たことがない風景に変えるように、いつも食べている料理を一度も食べたことのない特別な味に変えてくれる。旨味を主張しない。

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六品目は柚子の葛餅。プリプリ熱々。だが、火傷しない。葛を焼くのは初めて見た。香ばしさが冬の寒さをあったかさに変える。料理は食べると一瞬で消える。だが美しい料理は永遠であり、魂の源泉でもある。

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七品目は煎茶。おちょこが可愛い。食材は引き算しながら、ひと手間を足し算。美味しさを主張せず、食材の奥から美味しさが引き立つのをじっと見守る。味の風にしむら。