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食いだおれ白書

世界を食いだおれる

新世界の朝日〜夏の通天閣

コロナ前より人口密度が濃くなった新宿の夜。あらゆる規制から解放された飲み帰りの若者やサラリーマン、円安に背中を押された外国人観光客で溢れかえっていた。時折、涼しい夏風が吹くが、すぐに人の壁に遮られる。きっと道頓堀や新世界も凄いことになってるだろう。

6月28日、22時22分。火曜の夜なのにバスタ新宿はごった返している。キンキンの冷房も意味がなく、汗が噴き出る。天王寺公園行きの深夜バス、2600円。この値段で文句を並べたらバチがあたる。

22時40分。この時間は秋に出版するWBCの本の原稿を書いているか、NHK BSのワースポMLB大谷翔平の26号ホームランをチェックしているところだが、これから大阪に向かう。今月はあと9時間働けばいい。フレックスのいいところだ。明日から食いだおれよう。

6月28日(水)

7時13分、予定より13分遅れで到着。車内のガンガンに効いた冷房から8時間ぶりに解放された。眠気まなこをこすると眼前に、あべのハルカス。大阪のミナミという感じがしない。周囲を見渡したが、通天閣の姿はなかった。

天王寺駅から環状線に乗って鶴橋に向かう。まずはガスト天王寺桃谷店。リモートワークをしなければ。鶴橋のひとつ手前の桃谷駅で降りる。環状線はそこまで混んでいなかったが、早く人から解放されたい。駅からガストは5分くらいだが肌が痛い。東京の比じゃない暑さ。昼から日差しが本気を出せばどうなるのだろう。明後日の愛染まつりは雨のようだが、どんな4日間になるか。日焼け止めを買わないと。

7時40分、到着。この時間から営業してくれてありがたい。しかも冷房が効いてWi-Fiもある。さすがに平日の店内はお年寄りが5組ほどいるくらい。店員さんの姿はなく、好きなテーブルに座り、注文もタブレットでセルフ。

朝食のモーニングセットもロボットが運んできた。ライターの下積みをしていた10年前はデニーズによく来たが、今のファミレスはこんなに進化しているのか。小学生の頃は入り口に並べられたお菓子、おもちゃコーナーばかり見ていた。親に買ってもらえなかったが、働いて自分で買える歳になったら興味がなくなった。人生は不思議なもの。

昼は韓国焼肉なので、肉類はなし。スクランブルエッグとトースト。オレンジジュースにスープ。これで550円。なんて贅沢な世の中になったのか。会計もセルフレジ。もうロボットやAIに労働させる時代が来ている。

明月館

今回の最重要スポット。ガストから歩いて10分ほど。千日前通りにある明月館の上本町店。11時オープンだが、10時40分に開店しておりオーダーできた。時間にルーズなところが大阪人のいいところ。

母校の清風学園は目と鼻の先だが、学生時代は知らなかった。知っていても手が出ない値段。開店11時には、あっという間に席が埋まる。

石焼ビピンパのランチセット1,000円に、侍ジャパンが食べた上ハラミ2,530円、塩タン2,145円を配球。トータル5,675円。超贅沢なランチ。韓味彩宴。 

元は韓国焼肉店だったが今は和牛。プリプリ&ジューシーな塩タン。甘みと旨みが濃厚なハラミ。これは元気が出る。侍ジャパンが150合も平らげた白米は、複数の品種を合わせたブレンド米。来た甲斐があった。秋に出版する本の取材ができた。

天王寺公園

本当なら新世界まで歩きたいが、大きな荷物を持って身体が溶けそうな炎天下を歩くのはキツイ。鶴橋から再び環状線に乗って天王寺へI'll be back。天王寺公園の先に通天閣が見える。やっと逢えた。

昨冬に訪れた天王寺動物園。なぜ、こんな所に動物園があるのか? 新世界とは何かを読み解く重要なワンピース。それは最後に語りたい。

通天閣

とうとう帰ってきた、新世界。なんと素晴らしい響き。道頓堀も最高のネーミングだが、自分だけのニューワールドを作る「新世界」もたまらない。そして通天閣。20年以上前に登ったことがあるが、もう登らない。いつも見上げていたいから。

1948年の映画『王将』の坂田三吉阪東妻三郎)がいつも初代通天閣を眺めていた。天王寺七坂から白煙をあげる汽車が通天閣を覆う様子を静かに、やさしく見守る。その背中の哀愁が自分の背中も押してくれた。タイムマシンがあったら尾崎豊のコンサートと初代通天閣を観たい。この2つの憧れは永遠に不動。

初代通天閣は1912年(明治45年)7月3日にルナパークと共に建設。パリの凱旋門の上に、エッフェル塔の上半分を乗せた形で、高さは約75メートル。入場料は10銭。1920年大正9年)に入場客の回復のために広告を取り付け、「ライオンはみがき」のイルミネーションが装飾された。阪妻の『王将』で観られる。ノスタルジアが凄くて憧れが増す。この初代通天閣は1943年(昭和18年)に足元の映画館の火災の影響で取り壊された。今は2代目。

散髪

正午、お世話になるホテルに行くがチェックインは16時から。かなり時間がある。荷物だけ預け、まずは散髪。ホテルの隣にある「114」というお店。旅をしたら最初に床屋に行け。水曜どうでしょうのアフリカ編で生まれた旅の掟。大阪に来たら散髪。これは毎回のルーティンになっている。1,300円のカットでシャンプーや髭剃りはオプションなので無し。安く済むのでありがたい。息子さんがカットしてくれ、お母さんが会計。ちょうど1,300円を払うと「は〜い。上手にいただきます」。ちょうど頂きますじゃなく、「上手にいただきます」。気持ちいい。これがナニワの人情。

新世界東映

サッパリしたあとも16時まで時間があるので映画を観よう。去年の冬、通りかかって気になっていた新世界東映。昭和30年代にできたらしいが、前身の『日本倶楽部劇場』は明治45年、初代通天閣と同い年。新世界東映は、東映時代劇や任侠映画の新作を上映する封切館だったが、現在は名画座となっている。今は成人映画の『日劇シネマ』と『日劇ローズ』を併設。

日劇シネマは女装出会いコミュニティスポット。女装をした観客が出会いを求めて来る。日劇ローズは関西唯一のゲイポルノを取り扱った男性だけの劇場。女性または女装の方は入場お断り。どちらもディープな新世界。

新世界東映の上映作品は『0課の女 赤い手錠』『ジーンズブルース 明日なき無頼派』。共に74年の作品で、いずれ書こうと思っている70年代の映画館を舞台にした小説と同時代。取材代わりにもなる。

デジタルじゃない時代のフィルム上映も味がある。そしてなんと言っても女優の存在感、色気が現代とは格段に違う。タランティーノも大ファンの梶芽衣子の気品、色気、強さ。映画を観るときは演出や脚本、俳優の演技を気にしてしまうが、そもそも映画館の暗闇は星(スター)を観るもの。内容うんぬんではなく、スターの輝きを観れたら満足なのだ。新世界東映には、本来の映画の存在意義が瞬いていた。外に出るとゲリラ豪雨。傘を持っていなかったが、ホテルはすぐそこ。モーマンタイ。

レトロゲーセン『ザリガニ』

ホテルがある通天閣本通商店街にECHOESの『ZOO』が流れていた。雨の新世界になんて合うんだ。こんないい歌だったのか。心が軽くなって胸が締め付けられる。この世界は愛おしい。

ホテルの隣にはレトロなゲームセンター。自分が生まれた昭和58年のものは稼働していないが、マリオブラザーズがある。これは凄い。

ジーンズブルース 明日なき無頼派』の猟銃を観てルパンのシューティングゲームをやった。

EBISU HOTEL

4日間お世話になるホテル。元は『大阪えびすホテル』だったが、改修し超キレイでオシャレなホテルに。新世界には合わないが、利用する分には最高。なんと言っても通天閣まで徒歩1分かからない足元にある。

まだコロナのキャンペーンが使えるのが助かる。本来は素泊まりで1泊7,000円を超えるが、6,240円。トータル18,720円。おまけに「いってらっしゃいクーポン」が6,000円分もらえるので実質4,240円。11月に来るときも旅行キャンペーンをやってくれないだろうか。次は和室に泊まろうと思う。

うさぎや

18時過ぎまで眠っていたら通天閣の空に月。今日の晩御飯は何にしようか。ホテルのベランダから新世界を見渡すと、ホテルの目の前に「うさぎや」があった。調べてみると60年以上続く新世界で最古のお好み焼き屋。行ってみよう。

店内には昭和レトロなポスターが並ぶ。しかしガイドブックの影響なのか若い人や外国人が多い。隣に座っていたのも、東南アジアから来た女の子ひとりだった。メニューも英語や中国語、韓国語。昔ながらの常連さんはいない。時代が変わっても来店するお客様に合わせるのが銭を生む。Hey Hey おおきに毎度あり

10人が並ぶL字カウンターに、4人がけのテーブル席が四つ。このキャパが限界だろう。ご夫婦ふたりで切り盛りされている。アルバイトはいない。19時前になると外で待つ人が出てきた。さすがの人気店。

注文したのは豚平焼きと、名物「うそ焼き」。うそ焼きは、うどんと蕎麦を混ぜた麺。浪速の商人が考えそうなカオス飯。

そして珍しいとんぺい焼き。道頓堀でタコ焼き、お好み焼きを食ってるから違う粉もんが食いたい。マヨネーズの甘さが暴力的に美味い。コーラで流し込む。これだけ国際化しながら、支払いは現金のみ。外国の方はカードが使えず大変だ。真のグローバルの夜明けは遠い。

まだ20時なのに暗い。通天閣は2025年の大阪万博に向けて改修工事中。ライトアップは9月まで中止。残念。次に来る楽しみができたから良しとしようか。宿題があるほうが人生は面白い。初日の夜は更けていった。

6月29日(木)

昨夜は23時前に寝て4時半に目覚ましをセット。不覚にも2度目してしまい、6時に道頓堀から差し込む朝日で飛び起きた。

今日も街が生まれ変わる。来る人が変われば街の表情も変わる。一日として同じ世界はない。街はいつもニューワールド。

天気予報では完全な曇りだったが、相変わらず外している。明日の愛染まつりは完全な雨予報だが、この調子で外して欲しい。

新世界が目覚める前に散策。ローソンは24時間で動いている。本番は昼から。今はストレッチ運動。朝の道頓堀川は1日を始める祝福としてこの上なく大好きだが、通天閣も清々しい。

川は見下ろすものだが、通天閣は見上げる。前夜にどんな苦しみがあっても、上を向ける。道頓堀と新世界は兄弟のようだ。

荒々しい新世界が弟、少しやさしく、包み込むような道頓堀が兄。一度ホテルに戻り、朝のシャワーを浴びる。

喫茶 通天閣(モーニング)

旅先の楽しみが朝の喫茶店。ホテルのカーテンを全開にし、たっぷりの朝日を部屋に浴びさせて外へ出る。近所の小学生が通学。この特殊な街で生まれ育った子どもたちは将来どこへ向かうのだろう。そんなことを気にするなんて俺も老いたかもしれない。

8時から営業している「喫茶通天閣

モーニング。400円。ゆで卵が半熟の手前で美味しい。トーストのジュワッとバターが来る感じとホット珈琲のやさしさが合う。

ドアが開放され、新世界の空気が見える。夢や仕事に追われる者にとって、ゆったりと流れる時間が何よりの贅沢。地元の人がようけ来る。いつから店をやっているのか、今度来たとき訊いてみよう。そして次に来るときは、珈琲ではなくホットミルクにしよう。この喫茶のやさしさに合いそうだ。

外に出ると日差しが強くなってきた。日光を通天閣は黙って受け止める。神々しい。今日は終日、ホテルに缶詰になってリモートワーク。仕事から解放されたあとの新世界が待ち遠しい。

朝8時過ぎから人力車が暑い中を元気に走る。負けてられへんな。

とんかつ かっぽう 車屋


待ちに待った昼休憩。ご飯の前に、日焼け止め、制汗剤をスギ薬局で買う。

通天閣本通り商店街にフクロウの置物が見えたら「とんかつ割烹 車屋」。2005年の開業。ホテルから徒歩1分。こんな店があるなんて。近そうでまだ遠い新世界。入るのに少し緊張する店構え。

カウンター11席、テーブル8席の19席。75歳のお母さん、その息子さんであろうご主人ふたり。いかにも割烹のカウンター。L字カウンターに腰掛け、とんかつ定食900円を注文。夜は京料理の懐石がメインだが、ランチでは1,000円以下で食べられる。通天閣が工事中なので、職人さんが作業着のまま入ってくる。古い常連さんも入ってきて、日替わり定食を聞く。この日はハンバーグ。どんどん注文が入る。

炊き立ての瑞々しいご飯。漬物、おかず、どれも逸品。これで九百円はちょっと申し訳なくもなる。そして主役のトンカツ。衣に和風の出汁が染み込んでいる。なんという旨さ。日本一。

食べ終わったらすぐに退店。「もう帰んの?」とご主人。歓迎の証。うれしい。「いってらっしゃい、気つけて」とお母さん。なにわの人情も旨味になる。次も必ず来よう。

国際地下劇場

沢木耕太郎さんは10日間で30本以上のピンク映画を観たことがある。『地の漂流者たち』の一編「性の戦士」にイキイキと書かれている。ポルノ映画を蔑む人間がほとんどだ。しかし、「ポルノ映画館」という一つのジャンルで成り立たせているのはすごい。「恋愛映画専門館」で経営が成り立つだろうか?「コメディ映画専門館」で客が入るだろうか?とかく人は外見やイメージで物事を定義するが、もう少し奥をのぞくと色んなことが見えてくる。

いずれ映画館を舞台にした小説を描く。大阪を描くなら成人映画館は避けて通れない。前から気になっていた国際地下劇場。

日本から失われた手描きの看板。すごい。味があると言ったら凡庸すぎてこのアートに失礼だろう。昔は手描き看板が当たり前だったから凄い。今では古い銭湯で見るくらいだ。

成人映画館は初めて来る。立命館大学の4年間で京極の映画館に通いまくったとき、いつも異様な雰囲気を放つ成人映画館が気になっていた。しかし、ネット社会でわざわざポルノグラフィティにお金を払っても仕方ないと思っていた。今、思えば体験しておけばよかったが、それも青春の影

1970年代初頭、目黒のライオン座、蒲田の南星座、上野セントラルなど、今はなきノスタルジア。日活ロマンポルノや東映ポルノなど大手ではなく、もっと製作費の安いジャンクフードのようなピンク映画。失われた時を求めて

終日見放題で八百円。券売機で買って無表情のもぎりの兄ちゃんに渡すと地下に降りていく。かなり異様な雰囲気。古いトイレやタバコを吸う休憩室があるが、その先が真っ暗。銀幕では男女の交わりが流れているが、席が見ないほど暗い。目が慣れるまで待たなければいけない。

古いフィルムを映写機で投影し、その位置が低すぎるから、後方の通路の客が移動するたび頭の影が映る。2階から投影しないのか?そもそも秘め事は部屋で独りで楽しむか、カップルで観るものだが、エロを開かれた空間で共有しているのが不思議だ。VHSがなかった時代の名残りなのだろうか。流れていた作品は平成に作られたものだが、もちろんクオリティは高くない。露骨なエロティックでアダルトビデオのほうが質は高い。しかし、味があるというか、スクリーンに映し出されていること、それを観客と共有していることでイケナイことをしてる罪悪感が興奮を増す。周りは年配の男性がほとんど。秘密結社にいるような空気。キューブリックの遺作『アイズ・ワイド・シャット』のような妖艶さがある。成人映画も悪くないかも。映画館は奥が深い。

いい場面で隣に誰かが座ってきた。ん?と思ったら、かなり高齢のおじいさん。離れて座れよと思った瞬間、手が伸びて股間に異様な感触。すかさず手を振り払って席を立つ。噂は本当だった。国際地下劇場は単に映画鑑賞の場所ではなく、いわゆるハッテン場。男性同性愛者が、不特定多数の男性とその場で性交渉を行う。

その気はない。俺は今夜、飛田遊郭へ向かうのだ。席を立って壁際まで退散。暗さに目が慣れてきたので奥の壁を見ると、女装した男性とおじいさんが、壁に寄りかかって性交渉をしている。

もちろん、こんな映画館は特殊中の特殊だ。しかし、映画館というものの深淵を覗いた気がした。こういった行為を許容するのも映画の寛容さではないか。

『昇天旅館 ねだる若女将』を観ながら館内を観察していると、先ほどカラダを触ってきたおじいさんは別の客と席でヒソヒソ話している。次々と女装した男性客が入ってきたので居づらくなり映画館を出た。外は少し薄暗くなっていた。

ぎふや本家

新世界に来たら一度、串カツを食べてみたい。大阪の「いってらっしゃいキャンペーン」のクーポンを使える店を探すと、大正5年創業という超老舗。1916年、初代通天閣ができた4年後。店構えは味がある。こういう店があるから新世界はうれしい。

ただし店内は近代そのもの。お客さんも若者が多い。店員さんも20代が多い。注文はQRコード。年配の人はきついだろう。老舗の店なのに皮肉なもの。

串カツは7本。牛、ホルモン、鶏もも、絞甲イカ、メンチカツ、まぐろ、ホタテ貝柱。そこに、だし巻き卵とコーラをセットに晩酌。やはり場所が串カツを美味しくさせる。東京に支店があってもこうはいかない。場所や空気も大切な調味料。

名物のどろ炊きでフィニッシュ。牛すじを出汁で炊いたもの。秋や冬に熱燗と一杯やるといいだろう。大正の面影も残照もなし。じゃりン子チエノスタルジアはない。こうして店は時代と一緒にグルグル回っていく。

外に出るとまだ20時前なのに、ライトアップのない新世界は静かだった。工事が終わり、新たな街の灯がともれば雰囲気は変わるだろうか。今頃、千日前はどんな喧騒なんだろう。道頓堀川の流れが恋しくなった。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて歯を磨く。涼風を静かに待つ盛夏の夕暮れ。水無月の雲がのぞく。新しき世界を開拓するため、一路、西成の飛田遊郭に身を埋めた。

新世界というド直球なカオス

たった2日間の滞在だが、新世界という街がぼんやりと見えてきた。誕生は初代通天閣と同じ1912年(明治45年)7月3日。1897年(明治30年)に大阪市になる前は「今宮村」という村。畑地や荒地が広がっていた。

1903年明治36年)の第5回内国勧業博覧会がきっかけで天王寺村と一緒に会場敷地に。5ヶ月間で530万人が訪れたという。この博覧会に合わせて鉄道や天王寺公園(1909年・明治42年)などが整備された。

いうまでもなく象徴は通天閣。このタワーを中心に同心円を描くように新世界の街が広がっている。歌舞伎町の雑居ビルは勃起した欲望のメタファーであると同時に、一旗あげようという野望も混じっている。しかし、新世界はもっと素直に性の欲に特化している。

これほど男臭い街も少ない。通天閣の眼下には捌け口として成人映画館が立ち並ぶ。

射的も男の射精を暗喩しており、串カツも通天閣と同じ男根の形を咥える。下品と思うかもしれないが、あらゆる創造物には性の概念が隠れている。

新世界の周りに天王寺動物園があるのも変だと思ったが、動物という本能の存在を考えればガッテンがいく。新世界や天王寺の界隈は本能の街なのだ。大阪市立美術館のアート作品の数々も本能の解放をアジテーションしている。

隣町の天王寺はラブホテル街であり、新世界は欲望の迷い子を導くように飛田遊郭と隣接している。浮世から見れば混沌の街だが、その存在はストレートな欲望。新世界の性欲は生欲であり聖欲。外国人や若者が多く訪れるようになっても、新世界は新世界であり続けるだろう。