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食いだおれ白書

世界を食いだおれる

おでんは片想いで

おでん

好きな人を誘っておでんを食べにいった。冬が本気を出してきた12月16日、向かったのは上野の「おでん小林」。19時前にJR御徒町駅北口で待ち合わせる。

千葉の実家に住む女性と新宿で独り暮らしのボク。山手線と常磐線が通る上野は落ち合いやすい。先月、はじめて逢ったとき、秩父の温泉で静岡おでんの話になった。大根、玉子、はんぺんが好きだと言う。僕はおでんをあまり食べない。こんな機会しかない。思いきって誘ってみた。

その女性と出逢ったのはTwitter。山頂でホットサンドを食べた投稿をしたら、「同行させてください」と声をかけてくれた。コロナの感染者が増えてきたとき「延期してもいいですよ」と伝えると、それでも「行きたい」と言ってくれた。

あの長嶋茂雄さんが初めて奥様と食事した印象が「いい根性してるな」だったらしく、そんな恋心ある?と思っていた自分がまさか同じ惚れ方をするとは。山は出逢いを運んでくれる。

その人はトレンチコートにネイビーのマフラーで来た。黒い髪、真っ白な肌によく似合う。

『おでん小林』は、御徒町の路地裏にあるカウンター9席だけの小さな店。割烹料理屋のような凛とした清潔感に、ダンディーな声の大将が一人厨房に立つ。「いらっしゃいませ」。

「いい声してますね。声優だったんですか?」と聞くと、「いえいえ、とんでもない」と照れて下を向きながら手を動かす。この人のおでんは繊細に違いない。

女性が食べたいダネを選び、それを2つ注文する。最初はやっぱり大根と玉子。わずかにあったかさを感じる低温で鰹と昆布の関東煮。素材の味を引き立てるというより、素材をやさしく見守るような味付けだ。

がんもどき、ウィンナー巻き、車麩、わかめ、牛スジや「時価」と書かれた里芋(結局いくらだったのだろう?)を一通り頼み、最後も大根と玉子に帰ってくる。

その女性はスマホや一眼レフではなく、古いコニカミノルタフィルムカメラでおでんを撮った。今度、日本茶の農家さんを取材するときも使うそうだ。

大根が好きで、銭湯が好き。古い味わいと、素朴なやさしさを見出せる人。そんな古風にたまらなく惹かれてしまう。

常連のお客さんが「クリスマスは空いてる?」と店主に聞くと「こんな店を予約する人なんていませんよ。でも…そんなカップルがいれば長続きしそうですね」

この日からボクはぎこちないタメ口で話すようになり、16歳下の女性は敬語のまま。「タメ口で喋って」とお願いしたが「失礼すぎてとても」とやんわり返された。

今はこの片想いを育てたい。