
不思議なもので、ラーメンとウナギは誰かと一緒に食べるより、独り黙々と味わいたい。丼とはそういうもの。そこに孤高を托す。毎年6月9日に来る鰻屋さんがある。亡くなった登山家・栗城史多さんの誕生日。栗城さんはエヴェレストのベースキャンプから出発する朝は、日本から持ってきた鰻の缶詰をご飯に乗せて鰻重にしていた。「うなぎのぼり」の言葉通り、単独行のクライマーには縁起がいい。ゲンを担ぐ栗城さんらしい勝負飯。

地元の住民でも気づかない北新宿の路地裏に「つく梅」がある。「佃梅」と書くが、鰻屋さんの名前とは思えない。近所に7年も住んでながら存在に気づかなかった。普通はアパートだと思って通り過ぎる。栗城さんが教えてくれたのかもしれない。

老夫婦ふたりで営業され、アパートの一室がお店。お住まいと兼用で、食べログに載っているがホームページはない。51年前、税務署通りにオープン。27年前に今の場所に引っ越し。開店当初の常連さんが50年近く経った今でも来る。鹿児島産の鰻を江戸時代から続く千葉の銚子の問屋さんが卸してくれる。

うな重2,600円は、ご飯も鰻も歯応えバツグン。鰻を一番美味しく味わえる硬さかもしれない。タレも濃すぎず、薄すぎず。刺身のように生身が剥き出しではなく、ウナギは黄金の服をまとっているように見える。王様の料理、強くなれると錯覚する。

肝吸も主役級。これを超える味にいまだ出逢ったことがない。GPSがあっても迷いそうな隠れ家。ここは地上のベースキャンプ。栗城さんはいつも人恋しがり、COMPLEXの『BE MY BABY』や、『GET WILD 』などバブル期の音楽をかけて笑っていた。しかし、アタック当日は人を遠ざけた。凍傷で9本の指を失った手で箸を持ち、独り自作の鰻重を頬張る姿が懐かしい。あの孤高を思い出させてくれる「つく梅」は新宿ではなく、エヴェレストの鰻重なのだ。
店舗情報
- 店名:うなぎ つく梅
- 住所:東京都新宿区北新宿1-34-2
- 営業時間:11:00〜20:00(アイドルタイムなし)
- 定休日:月曜
- TEL:03-3371-7370
新宿おすすめ飲食店
その他の鰻屋さん
食の憶い出を綴ったエッセイを出版しました!

『月とクレープ。』に寄せられたコメント
美味しいご飯を食べるとお腹だけではなく心も満たされる。幸せな気持ちで心をいっぱいにしてくれる、そんな作品。
過去を振り返って嬉しかったとき、辛かったときを思い出すと、そこには一生忘れられない「食」の思い出があることがある。著者にとってのそんな瞬間を切り取った本作は、自分の中に眠っていた「食」の記憶も思い出させてくれる。