
なんば・法善寺横丁の顔ともいえる老舗甘味処が「夫婦善哉」だ。創業は1883(明治16)年。文楽の太夫・竹本琴太夫こと木文字重兵衛が「お福」の屋号で始めた店が原点で、現在は法善寺・水掛不動尊のとなりに暖簾を掲げる。

織田作之助の小説『夫婦善哉』の舞台としても知られ、映画化を経て全国的に名が広まった。織田作之助自身が法善寺を「大阪の顔」と呼び、この店を含む横丁をこよなく愛したのは有名な話だ。織田作之助は次のように書いている。
俗に法善寺横丁とよばれる路地は、まさに食道である。三人も並んで歩けないほどの細い路地の両側は、殆んど軒並みに飲食店だ。「めをとぜんざい」はそれらの飲食店のなかで、最も有名である。道頓堀からの路地と、千日前――難波新地の路地の角に当る角店である。店の入口にガラス張りの陳列窓があり、そこに古びた阿多福人形が坐つてゐる。恐らく徳川時代からそこに座つてゐるのであらう。不気味に燻んでちよこんと窮屈さうに坐つてゐる。そして、休む暇もなく愛嬌を振りまいてゐる。その横に「めをとぜんざい」と書いた大きな提灯がぶら下つてゐる。はいつて、ぜんざいを注文すると、薄つぺらな茶碗に盛つて、二杯ずつ運んで来る。二杯で一組になつてゐる。それを夫婦(めおと)と名づけたところに、大阪の下町的な味がある。そしてまた、入口に大きな阿多福人形を据ゑたところに、大阪のユーモアがある。ややこしい顔をした阿多福人形は単に「めをとぜんざい」の看板であるばかりでなく、法善寺のぬしであり、そしてまた大阪のユーモアの象徴でもあらう。
夫婦善哉は、1958年(昭和33年)からSRSホールディングスのグループに属している。

入り口のガラス張りの陳列窓には阿多福人形が飾られ、赤提灯がずらりと並ぶ。織田作之助はここを「法善寺の主」と称えた。

カップルや夫婦でなければ入りにくいと感じていたが、そんなこと知ったこっちゃない。大阪らしいユーモアと温かさが漂っている。

店内はカウンターなし。舞台や映画で役を演じた役者や、ロケで訪れた有名人のサインが壁一面に貼られ、客席よりも多いのではと思わせるほど。

これもまた大阪らしく、思わず微笑んでしまう。

看板の「夫婦善哉」は一人前を二椀で供する。由来は創業当時、なぜ分けるのかと聞かれた女将が「めおとでんね」と答えたことに始まる。実際には「二つに分けたほうがお得に感じる」という大阪商人の発想だが、“夫婦円満・商売繁盛”の縁起が重なり、店の象徴になった。

善哉には丹波大納言小豆など上質な豆を使い、弱火で約8時間炊いたのち一晩寝かせる。豆の甘味がしっかり引き出され、塩昆布(道南産天然真昆布)が絶妙なお口直しになる。

実際に夫婦善哉850円を注文すると、女将が間髪入れずに膳を運んできた。この速さはせっかちな大阪人も泣いて喜ぶだろう。二椀の善哉は甘さで飽和すると思いきや、すっとこどっこい、甘さが完璧。くどさがなく、甘味の聖域を保っている。
独りで二椀を食べてもまったく飽きない。丸い餅のつるりとした食感がアクセントとなり、奥に控える塩昆布のしょっぱさが見事なアシストを果たす。完璧だ。850円は決して高くない。「夫婦」とは二人で食べるものではなく、一人前を二つに分けた大阪人の洒落心なのだ。何度でも来よう。次は栗善哉を試したい。

夏には冷やし善哉、初夏から秋には「氷善哉」も登場し、季節ごとに楽しめる。
ショーケースに代々受け継がれる「お福人形」、壁を埋める有名人のサインや織田作之助ゆかりの資料、人情味ある“ちょっとおせっかい”な接客を見守る名物店長・より子さん。ここには大阪の伝統と人情が凝縮されている。
“めおと”に込めた洒脱な発想、手間を惜しまない炊き方、縁起物としての物語性、そして法善寺横丁の風情。どれもがこの店の魅力を支える核だ。観光の王道スポットとしてはもちろん、良縁祈願や夫婦円満を願う場としても一度は味わっておきたい一椀。甘味の聖域は、今日も二椀で待っている。
店舗情報
- 店名:法善寺 夫婦善哉(めおとぜんざい)
- 住所:大阪府大阪市中央区難波1-2-10
- 電話:06-6211-6455
- 営業:10:00〜22:00
- 定休日:なし
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『月とクレープ。』に寄せられたコメント
美味しいご飯を食べるとお腹だけではなく心も満たされる。幸せな気持ちで心をいっぱいにしてくれる、そんな作品。
過去を振り返って嬉しかったとき、辛かったときを思い出すと、そこには一生忘れられない「食」の思い出があることがある。著者にとってのそんな瞬間を切り取った本作は、自分の中に眠っていた「食」の記憶も思い出させてくれる。