
三条大橋に差しかかったとき、鴨川の水面が冬の光を跳ね返し、白く滲んでいた。昼の鴨川は、どこか自分の記憶よりも明るすぎて、遠くの山影さえ輪郭を失っている。

川べりの遊歩道では、散歩をする人々が小さな影を落とし、その影が水際の曲線に沿ってゆっくり伸びていく。

三条京阪のバス停に降り立つたび、僕は決まって鴨川を横目に映画館へ向かった。4年間、金閣寺そばの下宿から立命館大学に通い、その帰りに週のように通った映画街。

雨の日も、試験前の焦燥の中でも、薄暗い客席に身を沈める時間だけが、日々の呼吸の速度を整えてくれた。
そのすぐ横を流れる先斗町という花街には、奇妙なほど縁がなかった。映画館へ至るための通過点にすぎず、「納涼床」に誘われたこともあったが、満席で室内席となり、肩透かしのような食事だけが残った。記憶の中で、先斗町はずっと曖昧な影だった。

12年暮らした新宿を離れ、2025年に奈良へ戻ったとき、見えない糸がふいに結び直されるように、京都との縁が戻ってきた。
奈良を拠点に活動するコミュニティ「はじめる会」のご縁で京舞・篠塚流の会に招かれたとき、忘れかけていた街の光が、古いアルバムを取り出すように静かに蘇りはじめた。

観光地・京都は外国人で溢れている。そんなニュースが流れるが、実際に歩けば9割は日本人だ。むしろ外国人だらけだったのは、タピオカが街を埋め尽くした年に登った嵐山の愛宕山のほうだった。

京舞の開演は13時。空腹のまま向かうのはもったいない。先斗町には5,000円を超える高級店が軒を連ね、現金払いのみの店も多い。

昭和2年に開場した先斗町歌舞練場。そのすぐ隣に、昭和4年7月創業の「京都有喜屋(うきや)」がある。

うどん文化の京都で手打ち蕎麦を根づかせた店のひとつ。北海道産と京都産の蕎麦粉を使い、東京で修行した店主が昭和55年に戻ってからは、蕎麦文化の普及に力を尽くし。先斗町の町屋に染みこむような矜持の気配が好ましい。

暖簾をくぐると、三味線の音が空気を撫でていた。店員さんは腰が低く、江戸の職人とはまた違う、京都特有のいなせさがある。接客がいい店では、客まで姿勢を正される。

メニューは豊富で、迷う。普段なら100%冷そば派の僕が選んだのは、京都らしい「ゆずそば」(1,250円)に海老天(400円)をトッピング。
器に張った澄んだ出汁の上で、湯葉が淡く揺れる。それを見た瞬間、新宿で12年間、朝食に通い続けた小滝橋通りの「なか卯」の乾湯葉の味噌汁を思い出した。「好きな味噌汁の具は?」と訊かれると、今でも「湯葉」と答える。みな目を丸くするが、京都では湯葉の味噌汁が出させる家庭もあり、自分の舌が帰るべき場所に戻ってきた気がした。

京都の薄味という定説とは裏腹に、有喜屋の出汁はしっかり濃い。これまで食べた温そばで、揺るぎなく歴代ナンバーワンだった。なか卯のお姉さんは食べたことがあっただろうか。京都の太秦の出身で、本当は昼以降の定食にしか出してはいけない湯葉の味噌汁を、朝ごはんにつけてくれた。今も元気でいることを願う。

ゆずはぷるんと弾み、海老天は油の一滴まで張りを湛えている。

18時、再び暖簾をくぐる。やはり冷蕎麦に未練がある。昼よりも柔らかい灯りが店内を包み、「おかえり」とでも言われているようだった。

頼んだのは「有喜そば御膳」(1,800円)。店名を冠した「有喜そば」は、京都・紫竹納豆と生卵をメレンゲ状に仕立てたタレが、冷そば一面をふわりと覆う。白い雲が椀の中に宿ったようで、その頂に刻んだ海苔が山の影のように落ちている。

箸を入れると、醤油の香りが広がり、大粒の納豆が存在を主張した。塩の効き方が絶妙で、料理の芯を支える仕事をしている。

天ぷらは京野菜を中心に五種。衣の軽さは京都の町並みそのもので、声高な主張をせず、ただ静かに美しさを示す。おすましは透明で、古刹の石畳のように素朴で凛としていた。
かつて金閣寺近くの「みささ茶屋」で毎週日曜に食べていた野菜炒め定食。野菜嫌いを克服させてくれたあの日々が、京野菜の天ぷらを噛むたびに蘇る。味というのは、時に人の記憶をそっと撫でる。
会計を済ませると、大盛り券を使い忘れ、手元には2枚の券が残った。期限は翌年3月31日。もう一度ここへ来る縁があるだろうか。そう思ったとき、「冷し生ゆばそば」をまだ食べていないことを思い出し、胸のどこかが静かに疼いた。

京舞の余韻を抱えながら鴨川に架かる三条大橋を渡ると、橋脚がライトに照らされ、水面に影が揺れた。昼間の白い光と違い、夜の川は深い呼吸をしているようで、冷たい空気の底にゆっくり音をたたえていた。若い頃にはほとんど足を踏み入れなかった先斗町が、いまになってようやく奥行きを見せはじめたように思えた。長い時間のあと、街と自分の呼吸がふたたび合う瞬間がある。その小さな奇跡のひとつが、この日の「京都有喜屋」だった。