
その喫茶店は、ヨーロッパの森に迷い込んだような佇まいをしていた。

小牧市。織田信長が城を構えた街に、赤レンガと塗り壁の、優しくてちょっと不思議な建物がある。名前は「カフェ クリスティ」。可憐で、少し気取ったような響き。

営業時間は、毎日AM7時からPM7時と長丁場。

木の柱が天井まで伸び、朝の光がその間を縫ってテーブルに落ちる。奥の席では、おじいさんが新聞を読む。隣のテーブルでは、おじいさん、おばあさんが声をひそめるでもなく、かといって賑やかすぎることもなく、話に花を咲かせている。
その空気の中に、パソコンを開くビジネスマンはいない。誰も急いでいない。ここでは“時間”が主役。
モーニングセットは、トースト、ドリンク、ヨーグルト、半熟卵がついて480円。ゆで卵ではなく、半熟卵は珍しい。トーストも種類が多く、8種類から選べる。
目と鼻の先にあるメナード美術館の開館10時まで2時間。まずは、ハムエッグ・トースト。サクサクの食パンに、フワフワの卵。甘いケチャップがブラック珈琲の苦味と良い緩急。新宿から深夜バスに揺られ6時間。眠っている脳が少しずつ目を覚ましていく。

追加で小倉トーストのセット。これがないと愛知の朝は始まらない。コメダ珈琲のような山盛りの餡ではなく、ショートケーキのイチゴのようにワンポイントだけ中央に添える。クリスティはそれが似合っている。華やかすぎず、厚切りのトーストにバターがジュワッと滲む。

「クリスティ」という店名の由来を、スタッフのお姉さんに聞いてみた。
「わからないんです」と、笑って返された。
それでもいいと思った。すべてに理由があるより、時にはわからないままでも愛されるものがある。
初めて来た町。知らない土地に足を運ぶことが、年々少しだけ面倒になっている。このカフェで過ごした穏やかな朝の数十分が、そんな気持ちをゆっくり溶かしていった。
愛知県・名古屋のカフェ・喫茶店
食の憶い出を綴ったエッセイを出版しました!

『月とクレープ。』に寄せられたコメント
美味しいご飯を食べるとお腹だけではなく心も満たされる。幸せな気持ちで心をいっぱいにしてくれる、そんな作品。
過去を振り返って嬉しかったとき、辛かったときを思い出すと、そこには一生忘れられない「食」の思い出があることがある。著者にとってのそんな瞬間を切り取った本作は、自分の中に眠っていた「食」の記憶も思い出させてくれる。